弟子のSです

武術の稽古日誌

なんだから攻撃

私の家族は夫と子供二人と実母なのだけれども、この実母(74)が修行を静かに阻むのである。

絶えず手足にあざを作って帰ってくる娘が心配で心配で、おさらいだといっては娘に技をかけられる孫が心配で心配で。「ママは昔から乱暴っこだった。おてんばだった」と慨嘆するのだった。

親の言うことを聞く娘ではない、とおそらく一生学習することのない母は、今日も一言いわずにいられない。「主婦なんだから」「母親なんだから」「年なんだから」。

夜稽古に行くというと「主婦なんだから、男の人の少ない時間にしたら」なんて言う。師との寝技の稽古なんか見たらぶっ飛ぶだろう。私もあれは最初びっくりしたけれども。

「もういい年なんだから、そんなにあざを作り続けるのは体によくない」とも。「あのねお母さん。大東流合気柔術の佐川師範という人は亡くなる前日まで稽古を・・・」と説明を試みても、自分の主張しか頭にない母は、言うだけ言ったらもうテレビに興味が移っている。ギギギ。

「母親があまり家を空けると旦那さんと子供が寂しがるよ」というのも、きつい。

言葉にしない時でも、空気が出てるんだよ。払っても払っても。

母の望みは「体が元気なうちにもっと自分と遊んでほしい」。わかってる。なのに私は、母が元気なうちに稽古や仕事を、なんて思って、好きなことをして。娘と一緒に旅行したりしたいだろうに、ひとり茶の間で私の洗濯物なんかたたんでいる母を見ると、なんだか、責めながら許しを乞うような気持ちになるのです。

自由とは、制約から逃げ出すことではない。努力によって、制約を制約でなくすることだ。