弟子のSです

武術の稽古日誌

論理的であるということ

武術に関する思考は、論理的である必要がある。「自分はこうだと信じている」「自分はこうしたい」というような願望は入り込んではいけない。人に通じて初めて術である、ということは、主体は自分ではなく受け手側にあるということだからだ。

という師の言葉から、論理的に思考するとは具体的にどういうことかを考えてみたいと思います。

まず、論理的なものと対比するために、非論理的なものの例を列挙してみましょう。一言でいうと「個人の主観に基づくもの」。これらをあなたの主張の論拠とすることは武術的にNGです。

・常識 ・世論 ・信念 ・希望 ・感情 ・感傷 ・先入観 ・権威 ・誠意 ・思い入れ

「テレビで言ってたから」「みんなそう言ってるから」・・が論拠として不適当なのはわかりやすいですが、戦いの場面では「私がそう思うから」も無効です。なかなか自覚しにくい部分なので難しいところですが、「おまえがそう思うから何なの?」敵はそれでは倒れません。自分の思いに執着することなく、相手の立場に立って物事を捉えること、そのために論理的思考が必要になるのです。

論理的なものとは「客観的に証明できるもの」、それによって万人がひとしく真偽を判断できるもの、です。

・データ(事実・統計) ・物的証拠 ・状況証拠 

こうした徹底的なリアリズム・正当性によらなければ、異種の思考を持つ人間の心や挙動にはたらきかけることはできません。戦いを制することも、あるいは、わかりあうことも、できません。

私はどちらかというと理屈っぽい方だと思うのですが、それと論理的だということは全然別のことみたいです。論理的思考を身につけて、技はかかり、組手では連戦連勝、師の言うこともたちどころに理解できる、そんな人間になりたいものです。