弟子のSです

武術の稽古日誌

ぐらぐらしない

ぐらぐらしない。正中線を譲らない。自分の座標を見失わない。安定した自分をつくる。自我を確立する。そうすれば組手で簡単に投げられることもなくなります。

ぐらぐらするから、何か超強力な心のよりどころをずっと探していた。そうしたら、そこに武術が、というか師が現れて、そうじゃない、ぐらぐらしない自分を作ればいいのだと言う。

多くの思想や主義、信仰は、そうした自我のない人間が、何も絶対的なものがないことに耐えられない弱さによって、依存の対象として作られたものだからです。

昔の人も似たことを言っている。自我のない人間は自由とひきかえに安定を得ようとすると。

「怯えた個人は、自分を誰かと、あるいは何ものかと結びつけようとする。もはや彼は自分自身を持ちきれない。彼は狂気のように自分から逃れようとする。そしてこの重荷としての、自己を取り除くことによって、再び安定感を得ようとする。」(フロム『自由からの逃走』)

武術が一緒にいてくれるとか前に書いたけど、武術は依存の対象ではなくて、私の中にあって、私が一人でまっすぐ立つのを支えてくれるものだ。うまく言えないが、そんなふうに今日思った。