弟子のSです

武術の稽古日誌

再び師の問いに答える

兵法に身構有り。太刀にも色々構を見せ、強く見へ、はやく見ゆる兵法、是下段と知るべし。又兵法こまかに見へ、術をてらひ、拍子能(よき)様に見へ、其品きら在て、見事に見ゆる兵法、是中段の位也。上段の位の兵法は、強からず弱からず、角らしからず、はやからず、見事にもなく、悪しくも見へず、大に直にして、静に見ゆる兵法、是上段也。能々吟味有べし。(宮本武蔵『兵法三十五箇条』)

問い:

武蔵は「強く速い兵法」を下位、「術をてらい見ばえがよい兵法」を中位とし、上位に「強からず弱からず、角らしからず、はやからず、見事にもなく、悪しくも見へず、大に直にして、静に見ゆる兵法」を挙げました。では、この上位の兵法を身につけた者同士が戦ったらどうでしょう?二人のうち、強さ・速さにすぐれた者が勝つのではないでしょうか?違うとしたらその理由は何ですか?

答え:

違うと思います。相手の強さ・速さをコントロールする術に長けた方が勝ちます。力の方向に逆らわないことで強さ・速さは無効化されますし、止めたり流したりといった鍛錬を積むことでこちらは支障なく攻撃できる、むしろ、相手の力をこちらの攻撃に転じることもできるからです。

強さ・速さはコントロールすることができる、ということは、そうされないためには、こちらは自分の強さ・速さを相手に見破られないことが重要で、「静に見ゆる」ことはこちらの攻撃の情報を相手に与えない、といった意味において大切なのだと思います。

「強からず弱からず・・」と武蔵のいう上位の兵法は、強さ・速さといった相対的なものを勝敗を決する要因として考えていません。自分の情報をいかに与えず、相手の情報をいかに得るか、得た情報を攻撃力に転化できる体の使い方をいかに身につけているかといった、相対性を乗り越えた技術を自分のものとせよと言っていると思います。