弟子のSです

武術の稽古日誌

武術天神様

Sさんは思索に実技が追いついていない、と言われるけれど、ケガの今はどうしても考え事中心。 師から先週いただいたコメント。 稽古とは自分を武術とひとつにしていくこと、自分の中に自分の武術を構築すること、と何度も書いています。・・・武術と格闘技がどう違うのか、などという問いの答えは、「Sさんの中に構築されているSさんの武術」を取り出して、それと対比するだけの話です。 私の中に構築されている私の武術、という言葉を受け、人間の構造とは「うめぼし」のようだと思った。 果肉の部分と種とでできていて、果肉が属性で、種が本質。人は種こそ本当の自分だと思っているけれど、じつは種はさらに割ることができて、その中にはとてもやわらかな芯がある。種の外殻が固いので自分でもなかなか見ることのできない、それが自我とよばれる、本当に本当の自分だ。 そのやわらかな芯は俗に「天神様」とも呼ばれているそうだ。天神様。私が見出すべき自我であり、答えを聞くべき武術である。
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天の神様つながりで、昔の偉い人も似たようなことを言っているのを思い出しました。 「神は、あなたにとって一番親しい、独り言の相手である。あなたが自分自身に向かってこれ以上ない誠実さで語りかけ、本当の孤独の中で語りかける時にはいつも、実はその相手になっている人、その人のことを神と呼ぶのだ」(V. フランクル『「生きる意味」を求めて』) 師のコメントを熟読した私は今や「神」を「武術」といれかえて読めます。んー、思索に実技が追いついていない。