弟子のSです

武術の稽古日誌

武術ディズニーランド

表題どおり、私はずっと、武術はディズニーランドだ、と思いながら稽古してきたのですが、その本当の理由は師には話していませんでした。命がけでやっている師に失礼だと思ったからです。今回、ケガを契機に心境が変わりつつあるので、古い自分はこうだったんだよということで、師に知られてもいいかなと思い、そのことをブログ向けに書きました。そしたらやっぱり怒られました。

長く生きてきてそれなりにしんどい経験もし、常在戦場という言葉もわかるのですが、なんだろう、なかなか武術を自分の中に作っていくことができません。師の指摘のように、私の脳内がディズニーランドなのかもしれません。でも、これからです。記録だと思って、ここに残しておきます。

私は師が公共体育館で教える護身術の、講座開設当初からの生徒なのだけれど、かなり早い時期から「この先生の教えることって、もしかして、人の、殺傷方法についてなのでは・・」とうすうす感じていた。だって、講座の名称こそ『やさしい護身術』だけど、「駅のホームで襲われたらどうすればいいですか」と質問すると「線路に突き落とす事ですね」なんて答えが返ってくるんだもの。

とんでもないなと思いながら、私はそれが面白くて、先生に教わっている間は「殺生があり」の世界にいると思うことにした。ディズニーランドのゲートをくぐったら、ミッキーマウスミッキーマウスと思わないと面白くないように。ときどき教室で「でもこんな状況、現実にはありえないでしょ」なんて生徒のコメントに出合うと、ミッキーを「あれって着ぐるみの中に人が入ってるんだよ」と言われているようで、それを言っちゃおしまいよ的に腹が立った。じっさい武術は私にとって「夢と魔法の王国」だったのです。楽しくもの珍しく、ありえないことが起きる。

「先生」が「師」になってからも、武術=ディズニーランド、という私のとらえ方は多少薄まりはしたけれど変わらなかった。敵を殺傷するというのは私にはあくまでも仮想目的で、楽しむための方便だったと思う。

そんな中で今回わりと大きなケガをした。これは修行で、洒落じゃないんだ、体を張って向き合わないといけない事なんだ、とわかった。

*師のコメント:

殺生があり、なのは実際の世界のほうで、道場で習う武術で死ぬことはありません。武術は畳の上の水練、絵に描いた餅のようなものです。死ぬ覚悟も殺す度胸もいりません。

そういうものが必要になるのは、武術を実際に使うべき事態が訪れたとき、です。

もし、現実が「殺生なし」の世界で、道場が「殺生あり」の世界と勘違いしているならば、それはSさんが現実をディズニーランドと勘違いしているのではないでしょうか? 実際の世界はもっと残酷で暴力的で混沌としています。

常在戦場というのも言葉遊びではありませんよ。私がネットストーカーに殺人予告されたり、駅で不審者につけまわされたりした話も、なにか自分とは遠い世界のお話のように思っていませんか?

同じ事象も視点によって別の側面を持ちます。

「日本は平和であり、武術を使う機会はないかもしれない」というのも、「世界は残酷であり、いつも理不尽な暴力にさらされている」というのも、どちらも正しい。しかし、その片面だけを見るのは間違いだ、ということを教えてきたつもりです。