弟子のSです

武術の稽古日誌

昔はものを思はざりけり

師に褒められたい、認められたい、についてのつづき。

考えてみると、師に褒められるような時は、大体、そのことですでに自分で自分を褒めている。例えば「がんばりましたね」と言われる時には、すでにがんばったことにすごく満足している私がいる。逆に、自分で認めていないことはたとえ師に褒められても嬉しくないのだった。そう思うと、自分を褒めるのは結局自分の仕事なのかもしれない。

いっぽう、厳しくされる時は大概、自分では思いもよらないことを指摘されるから、やっぱり師には厳しくされてなんぼなのだろう。はあ・・・(ため息)

いろいろあって参っていた時に師にひどく厳しくされ、今は堪忍してください、察してください的なことを言ったら「じゃあ何年後に言えば適切だとお考えですか?あなたは何を学んでいるのですか?」と言われた。

その時は吐くかと思ったけど、日常生活の試練が稽古で、その時どきの最善手を打って対処することを学んでいる以上、そこで逃げたら自分のしていることを否定することになる。そういうことは、みんな、言われたあとからわかる。

武術は私が生きることと同意、道場での武術だけが武術ではない。

でも、だったら、道場で私が泣いたり笑ったりしながらしていることって何なのだろう?

「強くなりたい」「埒を明けたい」そういう右肩上がり志向から解放されて、ただやる、ということ。・・・・難しい。ケガしたこれからが私の武術だというけれど、今は途方に暮れているというのが正直なところ。今の私は、われながら褒めるところがない。