弟子のSです

武術の稽古日誌

戦うために

昨年腕を傷めて突きができずにいた時、嘆いていたら師に「突きはそんなに必要ないから」と言われた。今回、ひざのケガで蹴りができなくなったが、師は今度は「蹴りはそんなに必要ないから」と仰るのだった。そうなのか。突きや蹴りでなしに、私は私の何で、どうやって戦えばいいのかなあ。戦力という意味では確かに、私のしょぼい突きや蹴りなんて故障があろうがなかろうが大差ないと思う。昔も今も、ヒグマは倒せないがペットボトルは潰せる。組手で大事なことは、何か他にあるんだ。

昨日師にした質問を書き留めておきます。

目的を持たずその時どきの最善手を打つ、という。この「最善手」だが、何に対して最善なんだろう。私には最善という言葉自体が目的的に思える。たとえば将棋の対局で最善手といえば当然「勝つために」最も善い手のはず。師のいう最善策とは何か?何によって判断するのか?

師によれば、それをしなければ後悔することをする。それがその時の最善手だという。

しなかったら取り返しがつかなくなること・・・そっかあ!

ミサイルが飛んできたらよける。

賞味期限の迫った牛乳は早めに飲む。

転んだ子供の足裏から肉が飛び出していたら救急車を呼ぶ。

組手で詰んだら早めにタップする。

一期一会の縁を大切にする。

それを判断するのに確かに目的はいらない。いるのは論理的思考だけだ。