弟子のSです

武術の稽古日誌

執着の是非について

私の修行がいまひとつスムーズに進行しないのは、師の説く「我執を捨て自我を確立せよ」の「我執」についての是非が、本当のところ、自分の中でまだ曖昧だからだと思う。

見返りを求めなければ(←ここ大事)、執着は、それはそれでいいんじゃないか。勝負や人や物にぐいぐい執着して、有頂天になったり落ち込んだり、人間なんだもの、それも自然ではありませんか、という気持ちが心のどこかにある。

執着は両刃の剣であって、いい時はいいが、悪い時はそのためにひどく辛い思いをする。まあ身から出た錆です。それを「上等!」と引き受けたのが坂口安吾という人で、執着ゆえの悲しみ苦しみは人生の花と言い切る。それが私の目には誠実に映ったりする。私の「自己愛撲滅キャンペーン」が遅々として進まないのはこの作家の入れ知恵のせいとも言える。

そのへんの私の迷いについては「酔ってる」と師に一蹴され、指さして笑われるのだった。ううう。そんな師も我執の何たるかを全く知らない訳ではなく、むしろそうした執着や葛藤を通り抜けて今があるようだ。そのことが、執着を扱いかねている私の唯一の救いである。