兵法心持の事
兵法の道において、心の持ち様は、常の心にかはる事なかれ。
常にも、兵法の時にも、少しもかはらずして、心を広く直にし、
きつくひっぱらず、少しもたるまず、
心のかたよらぬやうに、心をまん中に置きて、
心を静かにゆるがせて、其ゆるぎの刹那も、ゆるぎやまぬやうに、よくよく吟味すべし。
静かなる時も心は静かならず、如何に疾き時も心は少しもはやからず、
心は体につれず、体は心につれず、
心に用心して、身には用心をせず、
心の足らぬ事なくして、心を少しも余らせず、
上の心はよはくとも、底の心をつよく、
心を人に見分けられざるやうにして、
小身なるものは心に大きなる事を残らず知り、大身なるものは心に小さき事をよく知りて、
大身も小身も、心を直にして、我身の贔弱をせざる様に心をもつ事肝要なり。
心のうち濁らず、広くして、ひろき処へ智恵を置くべきなり。
智恵も心もひたとみがく事専らなり。(宮本武蔵『五輪書』水之巻)
常在戦場、という意識にまだ遠い私は、とりあえず楽しいと調子に乗り、逆境になると途端に「サムサノナツハオロオロアルキ・・」となるのが常。そんな自分の小物さかげんをうすら悲しく思うこともある。
しかし師は言われた。武術の仕事は実務ですと。叫んでも、脱糞しても、泣きわめいても、(オロオロしても、)戦えればそれで問題ありません。武蔵も、上の心はよはくとも、底の心がつよければいいって言ってる。
心持に実務が付いてくるのか、実務が心持をつくるのか、それはわからないが、心持の至らない私としては実務をがんばるしかない。トンファーだ。宿題だ。智恵も心もひたとみがく事。
そうしているうちに武術と日常がひとつになり、何かと曖昧に棚上げしている自分を見つめる勇気も湧いてくるのだろうか。