弟子のSです

武術の稽古日誌

今日のお稽古

武術90分。猛暑の中をスポセンまでお運びいただいた師の手前、何がどうでも暑いとはこぼせない稽古だった。久しぶりの第一武道場で基礎鍛錬と受身とを修正してもらい、私としてはすごく良かったんだが、師には「久しぶりに見て、直されるところが増えているのは稽古していない証拠」と言われる。2月にひざのために作ってもらった蹴りの鍛錬メニューもサボっていることがばれてしまった。「稽古しないで、武術が逃げていくとかふざけた事言って」。 長い休み中に一人で稽古したことを発表するよう言われたので、動画で覚えたトンファーの型を見せたけど、我ながらほめられた出来ではないことはわかっていた。しかし出来の良し悪しよりも、型を覚えて満足しようとする姿勢を批判される。トンファーは第二の尺骨。自分の体の一部と感じられるほどに、まずは扱い慣れなければならない。 渡されてしばらく、ひじの骨に当たって痛い痛い言いながらぶんぶん振り回してたけど、あれを続けるしかないのか。 夏の課題「なぜ師の懐には入れず、私の懐には入られるのか」については兄弟子より奇跡のタイミングで助言をいただき、さも自分で思いついたかのように「足の位置を意識して入られないようにします」と組手に臨む。師はそれに応えて「三尖相照(手の先・足の先・鼻先を揃えること)」を心がけるよう言ってくださった。 しかし少し体が開くと胸を打たれ、半身が行きすぎると突き飛ばされる。とにかくやられる。やられる形にさせられる。師ご自身はいつにも増して不動如山。うーん。あとで、兄弟子にコメントをいただいたこと、その内容(足の置き位置を散漫にしない)を話す。すると師はこう仰った。あなたは「散漫」とはどういうことかがわかっていない。だから散漫でなくすることができない。 単推手。双推手。座り稽古。弱くなってる。合気上げもできなくなってる。親指を張り・肩を下げ・脇を締め・胸を張って息を吸い、吐きながら含胸抜背・・・覚えてることを総動員しても上がらない。できません! すると、師は私に不思議な運動をさせるのだった。脇を締めて胸の前でひじを合わせ、そのままうつぶせになり足を上げてバランスをとる。前腕を支柱に体でやじろべえを作る要領。師のお手本を一見して「無理」と思ったけど、やっていると少しずつ、ここなら上がりそうだ、という位置が掴めてくる。しばらく続けて何とか1秒ほどキープできるように。 すると師は「それは床に向かって合気をかけているのと同じです」。そして座り稽古に戻ると、じつに魔法のように、合気上げができるようになっていた。師ー!!歓喜もつかのま、今後何秒キープできたかを毎日ブログに記録するように言われる。ううう・・・やる。 稽古後の座学。師とする武術の話は日常の話だし、対話を通して自分が見えてくる不思議。 帰宅して師のブログの記事「落花流水」を読むと、今日話したことの多くが既にここに書かれていた。私はこれをうんうんと頷きながら読んでいたのに・・。これが「散漫」っていうこと? まず飛躍に必要なのは、極限まで心を澄ませ自分の中に深く降りていくこと、漫然とダラダラ稽古せず、正しく見て、聞き、そこから常に何かを汲みだそうとする意思です。 追記・内容に一部記憶違いがあり(線を引いた箇所)、コメントで師が訂正して下さいました。正確を期すためコメント欄までお読みになることを強くお勧めいたします。何か言われて感動したのは確かなんですが・・。