弟子のSです

武術の稽古日誌

三尖は相照する。どこを?

『師匠と弟子』(注:師が2010年の大晦日に脱稿された物語です)を春彦の成長物語として自分と重ねて読むと、私はいま全20話中の5話あたり・・・。春彦もシケモクに突きを破ってみろと課題を出されるんだった!

「前足先は常に相手の何処へ向けるのか?」「前の手は常に相手の何処へ向けるのか?」「視線は常に相手の何処へ向けるのか?」の答えを探しながら読んでみる。第5話よりもっと前の、春彦がシケモクに武術の手ほどきを受けるシーンから参考になる。三尖相照の「三尖」が狙うのは正中線のようだ。「眉間」「水月(みぞおち)」という言葉が出てくるけど、足や視線を具体的にどこに向けるのかはわからない。なので翻って、現在の自分はどうしているかを考えてみる。

前足先はどこへ向けているか→曖昧。患側の左足を右足がかばうのに忙しい。

前の手はどこへ向けているか→相手の手にとにかくくっつけることに集中。方向性はない。

視線はどこへ向けているか→相手の手とか足とか、自分に向かって突き出している箇所。あとはぼんやり全体。怖くなるのであまり相手を見ない。

・・・・散漫だ。とりあえず、散漫がどういうことかはわかった気がする。

シケモクを破ろうと第5話で春彦が一人でする努力は師のしてきたことでもあり、私に求められていることだと感じる。春彦は偉い。私はひと夏では答えに到底辿り着けそうにないもの。「寝ても覚めても」は同じでも何かが違っている・・・。

何はともあれ、シケモクの懐に春彦が入るためのいくつかのアイデアを物語から抜粋。

・下がって入るのを一挙動でやる

・真っすぐに入りながらも、相手と力をぶつけない

・相手のミスを「待つ」という戦法は格上の相手には通用しない→先に仕掛ける(これは自分がミスしないよう、精度を上げる努力を並行してやらないと自爆ですね)

直進・特攻してはやられてばかりいたので、脇に回る作戦をいっとき考えたけど、やっぱ相手に対しては直進が正解なんだと今日読んで思った。師にもはっきり「ずる」って言われたし。

まだ具体的にイメージできないが、闘いというのはまさに先人の言うとおり「正中線の奪い合い」で、三尖相照の構えでただ立ち続けることのできる側、崩されない側が勝つんだろう。懐に入る・入られるはその奪い合いの結果に過ぎなくて、実は勝負はその前に決まっているのではないか。

だから「師の懐はなぜ遠い」は「師の正中線はなぜ崩れないか」「私の正中線はなぜ崩れるか」「正中線とは何か」「片足の踏ん張りがきかなくて正中線をどのように守るのか」という問題に言い換えられていくのではなかろうか。うわーん問題ふえたよー。

ところでこの『師匠と弟子』、私は弟子たる春彦に「どうして私のことが書いてあるのだろう」ぐらい感情移入して読むのですが、師はなぜ春彦の気持ちをこんなにリアルに描写できるのでしょう。どなたかの決まった弟子でいらしたことはないはずなのに。

今日の腕バランス(仮称)は普通に数えて7秒、急いで数えて8秒。手で立つ生き物になったと自分を騙すといいようだ。