弟子のSです

武術の稽古日誌

わたし修行中の身なんです

武術は信仰するものでなく研究するものだ、とは師の厳しく言われるところです。「信仰とは99パーセントの疑いと1パーセントの希望である」というキリスト教作家の言葉があるように、信仰とは(狂信的なカルトでもない限り)疑いと表裏一体で、常に迷いを含んでいる。研究にはそういったややこしい含みはない。そこにぽん、とあるもの(理)を究めるよう努めるだけのことです。

ほっとくと自分から武術が脱けてしまうように感じたり、武術をしていることで時々自分が逸脱しているように感じるのは、まだ私にとって武術が「信仰」の域を抜けていないからだと思う。

生活と日常を完成させるのが武術なのに、自分が「逸脱している」と感じるのは、武術との関わり方がおかしいということです。

自分を見つめることと武術と日常がそれぞれ分離して、別のこととして捉えられていることが問題だと思います。

早朝から起きていろいろなことを考え、書いては消し、書いては消ししたけど、結局どれも世迷い言な気がする。苦しい、迷っていると思ったら、まずはとにかく稽古をすること。

表題は『魔女の宅急便』のキキの言葉。「魔法がなくなったら、わたし何の取り柄もなくなっちゃう」。これこそ修行者の心の叫びである。それなのに、そんなに大事なものなのに、私は何をうじうじしているんだろう。

追記:腕バランス(グー)、37秒。何はともあれ、うぉー!