今日のお稽古
護身術→太極拳。「わからないものに出会うと不機嫌になる」と人に指摘される私だが、今日の稽古はとりわけ難解だった。うまく記録できるかわからないが、後学のためにがんばって書き留めておく。
まず、生物の動作には2種類あること。(師よりご指摘いただき3行修正します。)
気(神経)によるもの =脳を介在するもの
感覚(反射)によるもの=脳を介在させないもの
「気」についてだ。気には二種類ある。それは意識と感覚である。
意識:「気が利く」「よく気がつく」「気が抜けている」といった時の気=脳を介在するもの
感覚:「そんな気がする」「気になる」といった時の気=脳を介在させないもの
脳を介在させずに人を倒した時、倒された側は「何だかよくわからないけど倒れてた」と感じる。沸騰したやかんを触った人が「熱い」と思うより先に指をひっこめているのと同じだ。脳が判断する以前に動作が済んでしまうのだ。
AとBが向かい合って手をとり、第三者にはわからないビビビッとしたやりとりを感じ合う。「ビビビッ」というのはコネクトした感触。これを感知し、シンクロすることで、AはBを自分のものにする。BはAのものにさせられる。(一連の表現が何となくいかがわしいけど、そうとしか言えない。)それで何が起きるかというと、Bは否応なしにAの意のままに、例えば押された体勢になっているのだ。脳が判断する以前に動作が済んでしまう。Bにとっては甚だ不快な話である。共鳴させられる不快さ。
私(B)「押せば押されるにきまってるじゃありませんか!」
師(A)「だから押してないんですってば」
私の理解では、Aは張る姿勢をつくり、それをBにフィットさせた状態でただ立っている・居る。
すると、Aは押していないにもかかわらずBは押される、ということが起きる。
肝要なことは下線部。私の説明は稚拙ですが、師のブログの新しい記事に丁寧な解説があります。
張る姿勢をつくる:姿勢自体の持つ保持力だけでバランスし、倒れずにいる。
フィットさせた状態:点より面で接触するが掴まない。掴むと相手の反応を呼び、ぶつかる。
姿勢によって力を出す件については、太極拳の時間に双按やいくつかの型、または馬歩を稽古した。「双按で押す」とは「双按という姿勢を正しくつくる」ことに他ならない。
以下、考え事の断片。
・太極拳の姿勢や動きが弧(円)で構成されていることの意味。師との組手で、そこから先に入れない、結界のような球が迫ってくるように感じること。
・あご・ひじ・ひざ、いつも出っ張った部分を傷めること。
・だからと言って「後退と前進を一挙動でやる」といった直線的な動きの要素も外せないこと。つまり、太極拳だけではないこと。
・腕バランスは筋力でなく、姿勢をつくるトレーニングであること。
・師の懐はなぜ遠いか、はおそらく立ち方・居方に関連すること。
わからないわからない。うー気持ち悪い。鏡をのぞくと浮かない顔のアゴに海苔がついている。カッコ悪いなあ・・・。