弟子のSです

武術の稽古日誌

今日のお稽古

武術90分。今日でマンツーマンでの稽古が50回を数えた。採算度外視でここまで教えてくださった師への感謝は言葉に尽くせない。私の中に今いくぶんかの強さと自由があるとしたら、それは師によって育てられたあるいは解放されたものです。でもって、今日の稽古は節目にふさわしい内容だったと思う。心の中でひとつ区切りがついて、次からは同じマンツーマンでも意味合いの違う稽古になるだろう。そうしなければならない。

太極拳。起勢から白鶴亮翅まで。

太極拳には套路という一人稽古にうってつけの型があるが、一人稽古を正しく行うためには自分で自分を修正できることが大切。そのためのチェックポイントを教わる。

・全身のつながりを意識 ・相手と自分の攻防を意識 ・指の張りを意識

特に言われたのが全身のつながり。「手と足が糸でつながっているように」とはよく言われることだが、動作において手が足を連れていく・足が手を連れていく・片足が片足を連れていく・背中を介して上半身が下半身を連れていく・その逆。つながりができていないと一動作で行ってこそ意味のある型がバラバラになり、発勁ができない。

起勢〜白鶴亮翅は三十七式の套路全体の6分の1にすぎないが、それでもみっちり1時間弱かかった。今日教わったことを意識しながら残り6分の5を一人で時間をかけてやってみようと思う。套路は深呼吸をひたすら続けているようなものだから、リラクゼーション効果もあって苦にならない一人稽古。漫然とならない方法を教えてもらってよかった。

剣術。接触点でのタッチ。

向かい合って切っ先三寸どうしを触れ、離れないように回して相手の剣先をそらす。自分の剣先は常に相手に向けた状態で。

斬り掛かってくるのをしのぎを叩いてそらす。順方向と逆方向から。叩く前に自分の懐を空けない。叩いた自分の剣先は相手に向ける。

つばぜり合いから、刀の背に手を添えて相手の刃をそらす。塔手や推手と同様、力ずくでやらないことが大事。そのためには接触点での微妙なタッチを覚えないといけない。刀を腕の延長、手首の関節の先につながった体の一部として捉え、太極拳と同様、部分だけを動かすのでなくつながりを持った全身でもって接触点から相手をコントロールする。

「要するに」刃先をそらすということですね、と稽古中に独自の要約をして叱られる。その「刃先をそらす」のにどうするか、そのためのタッチを学んでいる最中に要約してどうするんだと。稽古中の禁句「でも」「じゃあ」に「要するに」が加わった。教わりながら、これはどういうことかな・・と自分の考えに浸り始めてしまうと失敗する。稽古中は素直に見てただ学べということ。

マンツーマンで稽古する頻度は今後減っていくかもしれないし、もともと師に稽古をつけてもらう機会自体ふつうは限られているものなのだ。これからは、稽古をただ与えられるだけの場でなく、一人稽古を重ねた成果をもって臨む研究発表の場にするべきだとのこと。首肯する。

その後座学。

ここ数日武術のことでメンタルのしんどさが尋常でなく、つらいということはやり方が間違っているのだからやり方を修正すること、と師に言われたことから、どこが要修正なのか師にお会いするまで考えに考えた。

師のお話も伺い、私の考えも聞いていただき、おそらくは前向きな方向に舵が切れそうに思う。詳しくは明日以降の記事で。