弟子のSです

武術の稽古日誌

今日の一人稽古

起きて昨日の記事を読み返し、師のことも自分のことも裏切っていないか、武術について誠実な態度かどうか確かめる。「師のために」「強くなることによって」と、目的・手段とも二重の間違いを犯していたこと、そのことに端を発する齟齬を感情に流されて放置していたこと。そうした迷惑行為について昨日書いたような軌道修正を試すことが許されるなら、もうしばらくこの場所で修行を続けていきたい。

家で三十七式太極拳套路第一段(起勢から第十二式の十字手まで)を繰り返しやった。今まで師をよく見て足を引っ込めるタイミングはここ、なんてやっていたが、手と足のつながりを意識すればタイミングはおのずと決まる、というか引っ張られて自然に足が動く。

師とテンポがずれるところが決まってあるのは、どこかで二動作を一動作にしてしまっているのだと思うけど、今日はそれがどこかわからなかった。

ここ数日、組手のことでいろいろコメントをいただき、自分も組手については非常に過敏になっていて、何か考えるよい材料はないかと探している。成人どうしの組手を見た経験が殆どないことに気づき、ネットで「組手」とか「散打」でいろいろ探して見てみた。わかりたいことは二つ。

組手とは何か。打撃系の運動にドクターストップのかかっている自分が組手にどう取り組むか。

若くて骨量のありそうな人達ががんがん打撃の応酬をしているような組手が多い。打撃の比較的少ないところでは「ブラジリアン柔術」「フルコンタクト合気道」などがあった。それともちろん「太極拳」。「合気柔術」の組手は見つからなかった。ブラジリアン柔術はほんとに「せーの」という感じで寝技に進むのが面白い。太極拳は「アンやコウですっ飛ばす」決着が多いようだ。

打撃の攻防にしないためには「かわして、くっつく」・・・? しかし「かわして」と「くっつく」の間に深くて暗い川がある。 

組手とは何なのか、という問題のヒントはまだ見えず。見聞も経験も足りない。まだこれからだ。