弟子のSです

武術の稽古日誌

如是我聞 <基礎鍛錬>

やってみると文章にまとめるのはなかなか難しいですが、座学の内容をできるだけ記録していこうと思います。*師からいただいたコメントの指摘にある通り、誤りの多い記事となっています。コメントと後の訂正版をあわせてお読みいただければと思います。

白桃会の稽古でおなじみの基礎鍛錬「腕振り」「羽ばたき」。道場では、頭が上下していないか・床を蹴っていないか・腕に重さを乗せられているか等々、師によって事細かに修正が加えられます。一人稽古で仕上げてくるよう求められるものの一つです。武術は自由になるためのものなのに、どうしてこのように厳しく型通りにすることを求められるのでしょう。

自由になるために型稽古をする。このことについて師は次のように説明されます。パソコンを使おうと思えば人はまずキーボードのブラインドタッチを覚える。板前を志す人はかつら剥きを練習する。産業革命につながる工業の発展は蒸気機関という一つの動力源によってもたらされた。「腕振り・羽ばたき」に代表される基礎鍛錬はブラインドタッチ・かつら剥き・蒸気機関のようなものだ。それをベースにして初めて、そこから派生するあらゆる恩恵が得られる。それらを平たく「利子」と呼ぶならば、身につけた基本の量が多いほど利子も生まれると。

基礎鍛錬とそれによって得られる利子の一例をあげてみますと

・腕振り・羽ばたき →自分の体をコントロールできる・体軸が安定する

・馬歩・腕バランス・片足立ち・四股 →自重を支える筋力とバランスが得られる

・推手 →身体の内外の中間の感覚がわかる・柔軟性が得られ、力みがなくなる

利子が次なる利子をよび、発展させていった先に「相対性を超えた絶対的な強さ」や「自由」といったものが見えてくるのです。

これらのベースとなる技術を身につけることで、ケガをすることも少なくなる。また他流派のどこに行っても大丈夫、何を経験しても養分になるといいます。ベースとなる技術とはパソコンにおける復元ポイントのようなもので、それが作ってあればソフトを盛りすぎて調子が悪くなってしまっても、他流派を体験して混乱することがあっても大丈夫。戻れるところがあるからです。一つの武術の基礎をしっかり身につけるとはそういうことだ、このように師は言われました。おわり