弟子のSです

武術の稽古日誌

如是我聞 <武術家の一生>

師に伺った興味深いお話をご紹介します。それは従来、武術の技法がどのように継承されてきたかというお話です。 昔ながらの世襲制度ではライフイベントと合わせ、下図のような技術の伝承が一般的だったといいます。次世代への技術のスライドはおおむね40歳頃までに完了していました。教わる側からいうと、師から技術を受け継いで自分らしさ(オリジナリティ)を加えるのに20〜25年、ここからさらなる次世代への継承が始まったというわけです。
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こうしたライフサイクルから武術家の個人史(上図右部分)について考えてみます。 書道に「楷書」「行書」「草書」という書体の種類があり、順に抽象的になっていく(上図「桃」。イメージとして模写したので、くずれ方の矛盾とかは見なかったことにして下さい)のはよく知られていると思いますが、同様の区別を太極拳套路でも意識して行うことができます。 楷書:止め・はね・払いを意識するように、型の一つ一つを分離して行う。直線的。 行書:いくらかの続け書き。やや曲線味を帯びる。流れやグルーブ感を重視。 草書:続け書き。曲線的。自由。 ここで要注意なのは、草書がいわゆる「くずし書き」を進めていった先にできるものではないこと、楷書から流れやグルーブ感を発展させた行書の、さらなる発展状態ではないということです。ここは師からいただいたテキストがあるのでそのまま載せましょう。 草書は流れを自分で作っているのか、自分が流れに運ばれているのかもわからない状態です。可能な限り自発的な動きを削るので、外形的にはほとんど動いていないように見える場合もあります。これは内観、内功としての稽古です。 字が人に情報を伝えるという実用目的を第一義としていたなら、行書は速く書きやすい、という実用性にそったわかりやすい発展です。 草書は、文字として読めるか、ではなく、その書が芸術として何を訴えかけてくるか、を伝えるものになります。『アラベスク』でいうところの「技術ではなく情緒の世界」というやつです。 最終的には楷行草の三体は一致して、ひとつに戻ります。それらをバラバラにやるのは初歩の方便で、「真綿にくるんだ鉄」「武術であり養生であり気功、禅でもある」というのような相反する状態を統合するために、各構成要素をひとつずつやる。ということです。 さて、一個人の表現の変遷についても「楷→行→草」とより自由で抽象的な方向へ発展していくことはよくみられます。例えばSの好きな抽象画ですが、晩年自由な抽象表現で名をなした画家の若い頃の作品を見ると、必ずと言っていいほど具象画のすぐれた作品を描いています。楷書から出でて自由な表現に到るというより、楷書・行書の充分な鍛錬が統合されてある自由でしょう。武術家についてもそれは同様であるようです。 師によれば技術のスライドは武術家が行書〜草書といった自由・抽象的な段階に到る以前、楷書の段階にあるうちに行われることが望ましいということです。なぜならば技術がわかりやすいからです。(初学者に図の草書から学べと言われてもなるほど難しそうですね。) 私の師35歳は楷書の段階をいまや過ぎようというところ。師の太極拳教室に私が参加したのは4年前からですが、確かに以前とは教え方が変化しているのを感じます。師の武術、その表現は今後さらに自由に抽象的になっていくでしょう。 このお話の中で師が強調しておられたのは、技術のスライドを可能にするためにはその技術がわかりやすいうち(=師ご自身が若いうち)に教えなければならないということです。楷書としての技術の継承をその弟子に託す。いわゆる托卵(鳥が別の個体に卵を温めさせること)の担い手を育てたい、そして、その機会はあと何年も残されていないと。 関連する師の文章をブログから引きます。 余談だが、若い先生に習う美点は、そこにある。70代、80代で完成品になった武術家の先生の技を見ても、自分と断絶がありすぎて何をどうすればそこにたどり着けるか分からない。しかし、組み立て途中や、どこで何をきっかけに方向性が変わったか、そういう技が生まれるプロセスがあったのか、を見せてもらえば、それを同じように体験していける。師は目標とするのではなく、自分も同じ視点をもつことでのみ同化できるのだと思う。 楷書の段階のうちに師にお会いできたことは私の幸運だったと思います。稽古を始めたのが遅い私は技術の受け渡しに25年かけたら後期高齢者になってしまうというシビアな現実がありますけれど、まあ女は基本長生きなので師の変化を観察させていただきつつ、うまくすれば自身の楷→行→草も体験できるかもしれない、そうできたらいいなと思っています。おわり