弟子のSです

武術の稽古日誌

武術ゆく年くる年

2013年も終わっていきます。師のお言葉を引きつつ、今年とはどういう年だったのかをまとめておこう。あまり思い出したくない件も多くありますが、これでスッキリして年を改めよう。
1月 ひざのケガはMRIにより前十字靭帯断裂と診断。 Sさんの武術は今がはじまり。
2月 将棋を覚える。靭帯の再建手術を受けるかどうかで迷う。 飛車角落ちでも将棋は進む、それだけのことです。
3月 いろいろとどうしていいかわからなく、苦しくなるばかり。自己愛撲滅キャンペーンを張るがうまくいかず。 どうすればいいのかわからないのは、どうにかしなければならないと思うからです。
4月 精神的にもたれるあまり、師に犬呼ばわりされる。どうすればいいのかわからない。つらい。 「わからない」と「つらい」は本来無関係です。どうして「わからない」と「つらい」を結びつけてしまうのか自己分析してみてください。
5月 この頃から五指の張りを使った稽古が始まる。このあたりずっと手術を受けるかどうかで迷い続けていて、ケガをしたひざに完全に囚われていたと思う。
6月 定跡コンプレックス。合気道コンプレックス。 だったら合気道やればいいんじゃないですか、どうぞご勝手に。私が教えているのは一番プリミティブで核心の部分です。それを教わっていて血肉になっていない人が、それを二次加工して出来た合気道の技術を学んで何が分かるというのでしょう?
7月 再建手術をしないと決める。
8月 夏の自由研究「師の懐はなぜ遠い」。組手の件。答えが出ないまま夏が終わる。 Sさんは鈍い。
9月 相手にシンクロして意識のすき間を検知して入り込むという稽古が始まる。難解。鈍い自分は武術に向いていないと思う。 向いていようがいまいがどうでもいいんだ。ただやるんだ。
10月 週1のマンツーマン稽古が50回を数える。稽古は一人で研鑽を積んだ発表の場であるべきだとのことで、以降イレギュラーに。会っていない時間に成長していない人間には教える甲斐がないとの指摘に、武術の海にいる資格がないことを自覚し、今後どのような形で続けたらいいのか悩む。師の最も正しい観察者でいようという考えに落ち着き、お会いする時は常にプレスバッジをつけた気持ちで臨もうと思う。自分の中では重要な転換点であった。 武術をやっていてつらいなんてありえない。つらいのはどこかやり方が間違っているのだ。
11月 「でもじゃあ」ばかり言うならもう教えることはない、と言われる。師が怖すぎる。 悪いことをしたら怒られる、捨てられる、という「恐怖」や認められなきゃいけないという「義務感」を核にした人格を作ってしまうと、修行は苦痛でしかなく、師は恐怖の対象になってしまいます。 成長がない、稽古が意味をなさない、堂々巡りしている、組手で結果が出せない・・それらは弱さに支配されて奴隷でいるせいだとのこと。 まず言い訳と自己弁護から自由になってください。
12月 「眼前無師当有師」。一人で稽古する、日常を稽古にするとはどういうことかが少し飲み込めてきた気がする。 死ぬまで飽きない趣味は生きること。 自分はいつでも最高の稽古相手であり観察対象です。 人は本来無一物。
今年もまあ色々とつまずいておりますが、時間をかけて、師の優しさというものは、弟子には厳しさという形でしか表現されないことが受け入れられるようになったと思います。 私の武術が今年一年でどのくらい進歩したのかしなかったのか、それは師にしかわからないことですが、私に言えるのは、ひざの手術とリハビリに時間を費やすことをせず、稽古と座学を継続したのはいい選択だったということ。判断の正誤ではなく、今後どういう経過をたどっても後悔しない自信があるということです。そのくらい今年は稽古や座学を通じて内面的に変化があったし、ケガから得られたものも大きかったと思う。 組手をどう戦うかは日々をどう暮らすかという問題とイコールです。師が教えるのは技術でなく、技術に対する考え方であるという。それは救いであると同時に超難題でもあります。生活を賭けて解くものだと思っています。やりたくて、できるのに、諦めていること。欲しくて、手に入るのに、諦めているもの。それは何なのだろう。 この一年拙文を読んで下さり、コメントを下さった方々、本当にありがとうございました。答えとは正しく問われた問いである、ということで来年も問い続ける作業が続くでしょうが、よろしくお付き合いください。ではではよいお年を。