弟子のSです

武術の稽古日誌

今日のお稽古

ありうべからざる寒さである。11月からのしもやけで変色した足指が悲しい。養命酒は何をしているのだ、毎晩せっせと飲んでいるのに。

いよいよ初稽古の日が来た。午前中は仕事で新宿に。特許関係のプロジェクトに英文の在宅校閲者として採用され、イラストの仕事と併せてとりあえず向こう2年間は仕事の心配をしなくてすみそうだ。時間が自由になるので稽古に影響しないのが何より。私がんばるわ。

3週間ぶりの護身術+太極拳。新宿から大忙しで小金井体育館に向かう。稽古が始まるのを心待ちにしていたはずなのに、師にお会いしてみれば、ああまたきっと大変な思いをする一年が始まったんだなぁと思う。弱い自分との戦い。

つながりを意識して体を動かす。皮(皮膚)のつながり・腱(靭帯)のつながり・感覚のつながりといった物理的生理的なつながり、そして意識のつながり。それらは太極拳の動きになる。手が足を連れていく、足が手を連れていく、片方の手がもう片方の手を、片方の足がもう片方の足を連れていく。

つながりを意識すると、たとえば両手を前に差し出して心の中で鉄棒を握り、ぐっと引き寄せれば体が前方に引き寄せられる。これはエア懸垂。

手を一方向にぐっと伸ばすと腰が反対方向に張り出される。これを横方向と前方向と後ろ方向に順にやれば腰がぐるっと回る。これでエアフラフープ。

まだあまりつなげるのが上手くできない(だからポンも弱い)私だけれど、太極拳套路ではつながった動作がわりと自然にできる。というか、できてみるとつなげずに動く方が難しい。左右分脚などは手で足を持ち上げてやる感覚なしでは全く安定しないだろう。

しかし倒巻肱の要領でする手首抜きなどは、押さえられた腕を肩から分離したうえで他の部分を動かす。このことを考えると、つなげるにせよ分離するにせよ、自分のパーツを意のままに操作できるようになることが肝要なのではなかろうかと。意識と身体操作とを結びつけるというか。

師によれば、つながり方のゆるい私は車でいえばハンドルの遊びが大きい状態なんだそうだ。だから舵が利かず、力の加減ができない。力を出すのに力まなければならない。そう言われると師はパワステって感じがする。

今日は他に「滾(こん)」という言葉を教わった。水が滾々と湧く、のように「ころがるように流れる」意。斜飛勢で前方に差し出す手の動きである。手を甲の小指に近い部分から対象に当てて外転させ、最終的には背刀で打つような形となる(描写すると長いけど動作は一瞬です)。ミットを打つと小指側と親指側とが時間差で当たる2音がする。斜飛勢の姿勢を見ればわかるように、もう片方の手を後ろに張ることでぐっと力が増す。つながることで出る力である。

太極拳では五指の張り/五指の張りによる受けと攻め/攬雀尾の用法(リー・ジー・アン)の説明/単推手、基本の動きと双按。

師と推手させていただいた。双按で押しまくられて「捨己従人をしていないから」と指摘される。相手のぐいぐい押す力に対抗してはいけない、その力を利用するのだ。利用して返してやるのだ。いつも心に陰陽マーク。

こうやって書いていると、うまくなりたい気持ちが苦しいほどにつのる。現状の私はしもやけで足指を紫色にした、だっさい女だ。ああああ、この気持ち。稽古のある日常が戻ってきた。