弟子のSです

武術の稽古日誌

今日のお稽古

護身術+太極拳

ストレッチと極め技は紙一重、ということでストレッチの方法をいろいろ教わる。受ける側は横になり、かける側は座位か立位でそっと関節に体重を載せたり回してやる。関節の可動域のキワキワで痛気持ちいいうちはストレッチ、痛いだけになったら極め技。慎重にやる。

私はもともと靭帯がゆるいのか可動域が広めらしい(女性一般がそうなのかも?)。とりあえず関節技はかかりにくいけど、身体全体のつながりがゆるいことでもあり、いいことなのか悪いことなのかわからない。ゆるいと関節への負担が大きくなると聞いたこともある。

ストレッチのほか、重力を利用した力の入れ方を他にも教わる。

・相手の後方から脇下に両手を入れて浮かせて落とす

・胸骨を圧迫する心臓マッサージ。心肺停止から蘇生させるときは馬乗りになって胸骨も折れよと圧迫する。攬雀尾でするジーの要領、浸透勁のようにも思える。実際、これを健常者の心臓に狙ってかけると死んじゃったりするんだそうだ。まさに紙一重だ。

太極拳教室での師のお話。

太極拳はもともと道教に帰依していた人が始めた拳法で、道教とは一言でいうと仙人になりましょうという教えで、仙人になるとはどういう事かというと赤ちゃんになることで、赤ちゃんとは何かというと360度、人生の全方位に可能性を持っている、ポテンシャルとして万能の存在。できないことがない。リミッターがない。そういうものになろうというのが発祥です、というような内容だった。

師にいつか「自分が変わらないという前提で話をするな」と言われたのはこのことかと思う。

套路は第二十式の単鞭下勢まで。人が少なかったので動きや用法を個別に時間をかけて見てもらった。進歩搬攔捶、如封似閉、單鞭、單鞭下勢など。

今日の稽古でおもしろかったのは、進歩搬攔捶の用法で、強く相手に掴まれた右手のこぶしを自分の左手でこすり上げて外す、というもの。掴まれている右手をりきんで外そうとするとぶつかってしまってうまくいかない。相手に接した手はそっとしておき、相手とは離れたところに強い駆動部(この場合はこすり上げる左手)をおく。にやった十字で押すジーの要領と同じ(接触点はやわらかく当たって相手に反発させない)だ。また、動き始めの気配を悟られない「腕抜き」の要領にも通じるものがあると思った。水面下でことを進めるという。

左右の手のそれぞれに性質の異なる仕事をさせる。このことを師は「右の手のすることを左の手に知らせるなっていう、あれですね」と聖書を引用して説明され、例によって生徒一同に唐突な感銘を与えるのだった。ちなみに原典は

施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。あなたの施しを人目につかせないためである。(『マタイによる福音書』)

です。武術の目で読むと「施し」の二文字が不穏だなあ・・・

帰り道、稽古仲間と公園の売店に立ち寄り「ゆず茶」で憩う。