弟子のSです

武術の稽古日誌

お残しは許しまへんでー!

自分の稽古でも、師の稽古を見せていただくときも、師といる時は自分を離れて師の視点からものを見るようにする。と、意識の私は真摯に思っている。 魂を直接ぶつけるようにして教えても、教わる側が自分にしか意識が向いていなかったならば何も伝わりません。 苦しいという人は「苦しい自分」のことばかり考えているから何も目に入らないし、大事なものは全部取り損ねていきます。 自分中心の意識を去るとは、何か(技なり考え方なり)を提示されたときにそれを自分が好きか嫌いか、自分になじむか異物かのふるいにかけないこと。師から与えられるものは趣味のものではなく、弟子には「ごはん」なのだから、しのごの言わずに食べること。 ふるい分けはほどんど自動判定レベルでやっちゃうのですぐにうまくできるかわからないけど、そうしなければいけないのをずっとしてこなかったと思う。 「瓶の水をそっくり別の瓶に移し変える気構えで学びとっていく」(「虹の階梯」)