弟子のSです

武術の稽古日誌

如是我聞 <武術と政治>

師のお母さまは学生運動華やかなりし頃に青春を過ごされた方で、その世代の多くの人がおそらくそうであるように、社会を変えようという気持ちを強く持っておられた。生まれた息子にも歴史をつくる人であれとの思いを込めて「史織」という名前を贈ったそうな。

社会には興味がないけど武術史の一頁くらいは死ぬまでに書き足せると良いかな、と師は仰る。社会を変えようとして外界に働きかけるのがたとえば政治であるなら、人間の内面に働きかけていくというアプローチを師は選ばれた。それが武術である。武術は個々人を内側から変革する。自分という存在を他者との関係性の中で見つめ、深く掘り下げ、発見しようとする試み。

師の武術の要諦は非常にシンプルかつ深遠であって、それは「日々面白おかしく暮らす」。私が朝食のパンを楽しみに眠りにつくと話すと、それが武術だと言われた。稽古を続けた出口がたとえ武術にならなくとも、それはそれでいいと言われた。技術を教えているのではない。技術に対する考え方こそが武術で、そうしたものを教えていると繰り返し仰る。

外界でなく自分の内面を耕す。私はそうした師の考えが心底気に入っている。なにしろこれからの時代に合っていると思う。武術は考え方であり、その影響は個人の日常生活全体に及ぶもの。「日々面白おかしく暮らす」そんな武術が蔓延、もとい普及すれば(ケガはともかく)日本の医療費、特に精神疾患の医療費が大幅に削減されるだろうと私は真面目に考えている。おわり

付記:この記事の草稿を師にお見せしたところ「全体的にあまりに提灯記事すぎる」というコメントをいただいた。

提灯記事(ちょうちん・きじ)】特定の個人や団体などについて、事実よりも良く見えるように誇張して書いた、新聞や雑誌の記事。見かけは普通の記事だが、内実は広告・宣伝であるものをいう。ステルスマーケティングの一形態。

ないないないない