弟子のSです

武術の稽古日誌

悪の枢軸B

迷わず行けよ。行けばわかる。 いいかげんな道案内みたいだけど励まされる・・・猪木・・・ 師や土方さんの言うように、やるしかないから私はやるんだけど、どうやるか?について考え中 雑談中に師にたびたび「Sさんは武術と関係ない話ばかりしている」と言われることがあって、話題が技とか専門的研究的なことじゃないからだろうか、でも、生活全てが武術なら話題は何についてでもいいじゃないか、とか内心思っていたところが、師は話題のチョイスについて言っておられたのではなく、何の話題であれ「自分はこうだ」「自分はこう感じた」と私がもっぱら主観や感情にもとづいて話すのを「武術と関係ない話」と言われたのではないかと今朝気づいた。「Sさんの話は全部世迷い言」と切り捨てられたこともあった。私が私が私が。 修行の円滑な進行を阻むそうした心情は、仏教の言葉で「煩悩」とよばれるもの。 【煩悩】心身を悩まし、煩わせ、苦しめる心の作用。一切の欲望、他者への怒りや憎しみ、仮の実在への執着など。(『明鏡国語辞典』大修館書店) 作用(ファンクション)であるからにはコントロールが可能だと思うんだけど・・・ 厄介なこいつを始末してから心静かに稽古に臨もうと思ったら、ずっと稽古できないかもしれない。というか稽古って、煩悩を抱えたまま、コントロールできないまま、コントロールできないからするのかな。これがもしかして修証一等ってことだろうか。楽をしたいと思うから、楽になれないのかも。 そして、煩悩をみだりに人に開示しないというのは、マナーの問題かもしれない