弟子のSです

武術の稽古日誌

昨夜のお稽古

お花見いらい仏教関連の本しか読んでないし、日曜の夜いらい相対性理論しか聴いてない。Sさんはほっとくと本ばかり読むから、と昨夜師に言われたけど、どうしてわかったんだろう。いまも聴きながら、アマゾンから『出家とその弟子』が届くのを待っている。

昨夜の覚え書き。中野にて武術90分。30日のコメントで出された宿題の、そのヒント満載というか答えそのものといっていい稽古だったそうだ・・・

・合気上げ(片手、両手)。突きの受け(徒手、剣)。

ひじを曲げず、腕全体を弾力性のある「し」の字型にする。剣を持っては剣もひとつながりの腕の延長とする。相手と手を介してつながる時は、相手の腕も自分の腕の延長とする。

受けの目的は徒手でも剣でも、相手の突きの軌道をずらすこと。ずらしながら、こちらの手と剣は相手に向けたままでいて攻めに転ずる。真横に叩かない。つい怖さと嫌さでバシッと横に払ってしまうけど、それをすると動きのつながりが途切れるし前が空いて却って危険。叩かずに巻いて、離れずにいる。五輪書の「ねばりをかくる」の要領だと思う。

自分がつながっていること。向かい合う相手とつながっていること。動作の流れがつながっていること。

・突きを受けてからの展開いろいろ。

 八極拳の裡門頂肘。腕を前後に張る動きが足をリードする。

 太極拳の白鶴亮翅。腕の動きと足技のコンビネーション。

受けというつなぎ動作をして、あとは状況しだいで臨機応変に動く、武術の黒子になりきる。難。

・向かい合った相手にプレッシャーを与える(しなだれかかるようにする・目を突きにいくなど)、片手に集中させておいてもう片手で何かするなどして後ろに倒す。

突かれる・蹴られる・倒されると三拍子揃って全体的にとても痛い稽古だった。あんまり痛いと可笑しくなって倒されたまま笑ってしまう時がある。足指を切って血を流しながら私のまずい蹴りを受け続けてくれたRさんも楽しんでくれたろうか。

稽古後の雑談中、師からたいへんに気の重い、だからこそ多分とても重要な指摘をされる。

私の動きや姿勢は間違いだらけなのに、なぜ鏡に映して修正しようとしないのか。なぜ下ばかり見ているのか。

(自分に自信がないからだ。見ると脂汗が出る。滝川クリステルみたいなルックスだったらいくらでも見てるよ・・)←心の声

格好悪い自分を直視しないで何年やっても無駄だ。自分も見ない、人のことも見ない、だから手順を追うだけになる。

私はナルシストじゃないから(師みたいに)鏡の自分に見惚れられません、と言うと、鏡の自分をこんな筈はないと認めない方がよほどナルシストだと言われる。Sさんはナルシストなんだよ。

ううううううう

下を見ない、というのはかつて合気会でも注意されたことだった。2年間直らない癖がこれから直せるかな・・。でも、自分の中から思う自分が不確かだというのは昨日の記事で私自身も書いている。鏡を見るとは自分を外側から見る・客観視する最も具体的な行為だ。

だから私は今後勇気を出して鏡を見るし、下を見ないことにする!!たら〜り。

宿題の答えは頑張ればそこに見えているような・・・でもまだ言葉にならない。