弟子のSです

武術の稽古日誌

今日のお稽古

師について修業するとは、その公的な関係を私や私情に優先させること。そうでなくても、武術する上で感情は無価値と言われている。

蒲田行進曲』のヤスは師事する銀ちゃんに心酔しているんだが、銀ちゃんはいずれヤスの女房になる小夏とヤスの目の前で寝る。「ヤス、見ろ!」。ヤスは銀ちゃんへの敬意からそれに耐える・・・私を捨てるとは、感情を軽視するとは、究極的というか具体的にはそういうことである。言うほど簡単なことではありません。

護身術+太極拳

ポンを張ることで両腕で円相を作り、何もしていない状態より強いことを確認する。そのまま単推手→双推手。

相手を「観ずる」稽古。エア双推手。相手と接触せず、攻める手やひじに守る手やひじを対応させ、無線で攻防する/立っている相手の正中線を観察し、姿勢の傾きを見つけてその方向に崩す。応用して座取り。

太極拳では転身擺蓮での右足の位置が誤っていたことを初めて指摘された。

つらさが異常。

それを師に言うと、これからも弟子でいるつもりなら今から言うことを書けと言われる。書いて、それを絶対に守れ。

書けませんと言えば楽になれるよ、という心の声に抗いつつやっとこさ書いた。

・稽古に集中する

・稽古に熱中しない

・自分の内面を見る(「内観」=自分を客体として見る)

・見て、価値判断をしない

価値判断をしないとは、内面のポジティブな要素をプラス、ネガティブな要素をマイナスと捉えないこと。同様に、内観の結果明らかになった自分の傾向・性質が世間一般にネガティブなものだったとしても、それに価値判断を加えないこと。「私は貪欲なんだな」思ったら思うだけ。

欲は両刃の剣だ。修業する上でモチベーションというアクセルにもなれば(所謂ハングリー精神というもの)、依存心や独占欲(これがつらさの核である)というブレーキにもなる。欲深な私はアクセルとブレーキのどちらのペダルも目一杯踏み込んでるようなものだから、どこにも進めないし、苦しいに決まってる。頑張れば頑張るほど苦しくなる道理だ。

師はすごくいいことを言ってくれた。だけど苦しさの前ではそんな綺麗事、と思ってしまう。ならぬ綺麗事をやりとげるところに芸術が生まれるんだろうに・・・。