弟子のSです

武術の稽古日誌

ブログは30分ルール

稽古に集中する。稽古に熱中しない。自分の内面を見る。見て、価値判断をしない。

もっと稽古しろ、自分を客体として観察しろ、頭でこねくり回さずに、というので「パソコンに向かって考え事」の時短をはかる。ブログは稽古の記録のほかは身辺雑記にとどめる・・でも五十女の身辺のことなど読んで面白かろうか少し心配だ(←読者を意識)。今日はこれから1件150円の英文校正の仕事を6件やっつけ(2時間位かかる)、そのあと庭のドクダミをむしる、と。

こないだ図書館に返した立川談春『赤めだか』。おもしろかった。我がこととして読んだ。

翌日、談春(ボク)は談志(イエモト)と書斎で二人きりになった。突然談志(イエモト)が、「お前に嫉妬とは何かを教えてやる」 と云った。

「己が努力、行動を起こさずに対象となる人間の弱味を口であげつらって、自分のレベルまで下げる行為、これを嫉妬と云うんです。一緒になって同意してくれる仲間がいれば更に自分は安定する。本来なら相手に並び、抜くための行動、生活を送ればそれで解決するんだ。しかし人間はなかなかそれができない。嫉妬している方が楽だからな。芸人なんぞそういう輩(やから)の固まりみたいなもんだ。だがそんなことで状況は何も変わらない。よく覚えとけ。現実は正解なんだ。時代が悪いの、世の中がおかしいと云ったところで仕方ない。現実は事実だ。そして現状を理解、分析してみろ。そこにはきっと、何故そうなったかという原因があるんだ。現状を認識して把握したら処理すりゃいいんだ。その行動を起こせない奴を俺の基準で馬鹿と云う」

「・・俺にヨイショする暇があるなら本の一冊も読め、映画の一本も観ろ。勿論芸の内容に関する疑問、質問ならいつでも、何でも答えてやるがな」

事あるごとにこう宣言する師に甘えに行くのは容易ではない。覚悟を要する。師のアンテナに触れる芸を己が師の眼前で演じてみせて、初めて共通の話題ができるのだから。立川流の落語家それぞれが自分の人生をかけて立川談志という芸人のアンテナに触れたいと思い弟子になったが、その者達に対して立川談志は無条件に電波を流すようなことはしない。弟子は皆、談志(イエモト)に恋焦がれてはいる。断言してかまわないだろう。何故なら損得だけで付き合うには談志(イエモト)はあまりに毀誉褒貶が激しすぎる。離れて忘れた方が身のためと、実は誰もが一度は考える悪女のような人だが、それでも忘れきれない、思いきれない魅力がある。