弟子のSです

武術の稽古日誌

今日のお稽古

護身術+太極拳

稽古に入る前に、免疫力を高める運動を行う。細胞が喜んでいる状態を描写するものとして、太極拳の用語を新しく教わる。それは「しょう・かつ・だん・とう」というもの。

鬆(しょう):ゆるんでいる。力みがない。

活(かつ):自由自在にいきいきと動く

弾(だん):はずむ

抖(とう):ふるえる

免疫力を高めるとは即ち細胞を喜ばすことである。何度か経験のある、手綱を持って馬に揺られるようにシャンシャンと腰から震動をつくる動きをする。強弱をつけて行うと止めてからも体の中に動きの余韻が残って、やり終えた後なんとなく朗らかな気分になるのだった。フラクタル図形のように全体と部分が相似であるならば、顔が笑ってれば細胞も笑っている道理だよなぁと納得する。

稽古。

関節はボールと軸受けが組合わさった構造である。人やもの(例えば刀)との接触点も一つの関節と考えることができる。相手の力を緩衝しようと思ったらボールと軸受けの隙間をゆるめ、相手と自分とを固定化しようと思えば隙間をなくす。

前者を応用すると、手を引っぱられても体は動かされずにいられる(押されたり引かれたりという力を緩衝できる)。また、相手の反発する心を緩衝することでコントロールしやすくなる。後者はたとえば合気上げに応用される。

棒の押し引き/向かい合って両手で押し引き/関節部分に手を当てて相手をコントロール

冒頭に教わった「鬆」は緩衝材のプチプチのようなイメージであるという。合気上げで接触点での相手との隙間をなくそうと思ったらプチプチの細胞を膨らませるのだそうだ。合気道で教わる合気上げと同じ結果に辿り着くための道筋が、こうも違う表現をとって示されることに感心する。

前述の表現を繰り返すと、フラクタル図形のように全体と部分が相似であるならば、細胞=私で、私が戦うということは細胞が戦うってことなんだなぁと思う。

なので強くなるには細胞に働きかければよいという道理だが、それは具体的にはどういうことか。師によればそれは体内の「気・血・精」を統御することだそうだ。詳しくは師の解説をご参照ください。昨日の記事に書いた「システムの改変」のプロセスもそこに示されています。

太極拳では、套路の提手で前に出す右足が先週ほど痛くなくてよしよしと思う。

師は今日、訳あって明け方にフリーラインスケートで滑っていて坂道で転倒したのだそうだ。見せていただいた二の腕の擦り傷は午後2時の時点で既にかさぶたになっていて、すごい治癒力である。別れ際に確認する機会はなかったけれども、凝視していると治っていくさまが観察できそうな気がした。

kasabuta.jpg

師がよく仰るのは「人間には無限の可能性がなくもない」。太極拳が自由、自在をうたうタオイズムの発現であることを意識してこれからは稽古していこうと思う。