弟子のSです

武術の稽古日誌

本とエプロンと木刀

タオタオ言っているうちに老子に流れつき、加島祥造伊那谷老子』、萩原朔太郎『谷神不死』、ドリアン助川バカボンのパパと読む「老子」』と続けざまに読む。萩原朔太郎バカボンがおもしろくって寝不足気味。それから「仙学研究舎」というサイトで仙人になるためのハウツーを知る。あれこれ読むほどに自分がしていることの輪郭がはっきりする。稽古や座学や師の生態の観察を通じて既に知っていた、あるいはうすうす感じていたことの多いこと。

鍋にお湯が沸くのを待っている時とか、ちょっとした空き時間に羽ばたきや套路や、宿題の木刀振り。

本ばかり読んで知識に頼ろうとするのを師にたしなめられるが、だからと言ってどうすれば、と思い教示を乞う。

「退屈から新しいものが生まれると言われたでしょう。そこで外部に頼らないことで内側から発見が出てくるんですよ」。そうか・・・。

指摘されて、私は頭が退屈なのが我慢ならないんだなと自覚した。考えてみると私は朝起きてから寝るまで、やたら長い時間を文字と向かい合って過ごしてる。(今も・・・。)

頭を退屈させることも大切なのだ。移動中に車窓の風景に目をやるとか、家事をやっつけ仕事でやらない、とか。その時のことを「ただやる」ということが。

師と私との大きな違いは、自分の内にある答えに辿り着くのに、私は外から言葉をピックアップしてこないとならないこと。師は自分が答えそのものだと知っているから外のものに頼らないし、そのものを言語化する必要がない。