弟子のSです

武術の稽古日誌

今日の出来事

武術をやっていての「何をやってもダメなんだ!向いてないんだ!」を繰り返すことは相変わらず多いけれど、自己愛、劣等感、達成志向・・そうしたノイズを取り払って、純化した最後の最後に残るものが「ダメ」だったとしたら、その「ダメ」は悪くないものなんだろう。それが噓偽りのない本当の自分なら、明るくて、静かで、すっきりしたものだろう。

私は私のことをする。あなたはあなたのことをする。

私はあなたの期待に応えるためにこの世に生きているのではない。

あなたも私の期待に応えるためにこの世に生きているのではない。

私は私。あなたはあなた。

もしも縁あって私たちが出会えたら、それはすてきなこと。

たとえ出会えなくても、それもまたよいこと。

F・バールズ「ゲシュタルトの祈り」から。最終行が意味深長で「出会えないとは、出会えないことに出会っていること」だからなんだって。師のお散歩にも通じることだ。何もしないとは、何もしないをしていること。

次女の自転車が駐輪場から撤去されたので保管所に引き取りに行く。家にいると野暮用が次から次へと出来るので、何もしないをするのは至難の業である。置きっぱにする次女も、引渡時間の短い保管所(学生の行ける時間に開いてない)も、まったくもう・・と思いながら出かけると、保管所のおじさんが「この自転車ベルが壊れてるねぇ」と、不要品の中から状態のいいのを探して取り替えてくれた。さらに車に積み込んでくれた。ありがとう、おじさん。私も目の前の人をいい気分にさせるように心がけよう。もしも縁あって私たちが出会えたら、それはすてきなこと。