弟子のSです

武術の稽古日誌

今日の出来事

この穢土がすなわちエデンにほかならぬ。

鈴木大拙『東洋的な見方』。東洋思想について駆け足で学んだおかげで、わかるわかる!表現は違っても、あれもこれも、講義で師が仰っていたなあ、というのがわかる。鈴木大拙という人はアメリカ人の奥さんを持つ仏教者で、長く海外で禅を広めていたため西洋思想との対比がうまい。自分の中の西洋的・二元的な見方を次々に自覚させてくれる。

「現世」と「楽園」、「自分」と「敵」、「束縛」と「自由」etc.・・・東洋思想はそれらの対比について、束縛や敵などハナっからないんだ、楽園はここなんだと看破する。すごい。私はここ一か月くらいで、東洋人であることに自分史上初めて誇りを持ったかもしれない。

家から10分のところに武道館があり、そこで古くから活動しているという中国武術サークルの稽古を見学しに行く。会長は80歳を過ぎた老翁で、内功武術を教えておられる。陳式太極拳八卦掌形意拳・・。老師のもとに集まって、各々が自分に合った門派の一人稽古を黙々とやっている。『拳児』の世界だ。どの人も「すごい功夫」だ。日々の鍛錬ってこうやってするんだな!

基礎鍛錬を少し体験させてもらうと、老翁が「彼女ひざやってるのかい?でもなかなか動けてるじゃないか」と。少しお話を伺っただけの印象だが、自由で闊達なお考えの持ち主でいらっしゃると感じた。

師が何日か前のツイッターに「『老いた』と感じない生き方をして、かつ死ぬ瞬間まで死を知覚しなければ、観念的には不老不死になる」と書いておられたが、今日の杖をついた老師も、鈴木大拙先生も、ご高齢であることをまったく感じさせない。若い、というのもあたらない気がする。老若を超越している。soulやspiritが生き生きしているのだ。老いても、老いたと感じない生き方。そのために私はこれから自分をどう扱っていけばいいだろう。