弟子のSです

武術の稽古日誌

今日のお稽古

ツイッターで師が時々引用なさるカルロス・カスタネダという作家の著作を手にとる。呪術とか、えも言われぬニューエイジ臭に思わず距離をおきたくなるが、師の解説によると「呪術」という言葉を「異文化」の隠喩として捉えたとき「西洋人ー呪術」の関係は「私ー武術」のそれと相似であり、武術と関わっていく上でむしろ私が読んで有意義な作家だと思う、とのことだった。

中野にて武術90分。今夜は生徒が4人で賑やか。

基礎鍛錬/羽ばたき(前後・上下)の用法/相手の手首をとり内旋させてロック、そこから技への発展各種/ロックさせた相手の腕のひじに手を添え、刀を振り下ろす要領で投げる。

今日の内容を消化するにはまず相手の腕をしっかりロックすることなのだが、その基本がまだできてない。片手で片手をとり内旋させることで一人稽古できるので、それを繰り返すよう言われる。

稽古後のこと。私は師に注意されたとき「わかってるんですけど・・」という返しをすることがたびたびなのだが、一緒に帰った山田山さんに「できないというのはわかっていないことで、それを注意されているのだから「わかってるんですけど」はおかしいでしょう。注意されたら「わかりました直します」ですよ。言われたことをやるだけです」と指摘されてふかーく納得する。山田山さんばかりでなく、どの兄弟子も親身にアドバイスしてくれて感謝しきり。

思ったのは、女だから上手くできないのではない、私だからだ。四肢が細いからケガするのではない、アラームに鈍感だからだ。つまりはへっぽこなのだ。でも今日は「どうしたらいいのかわからない」とは思わなかった。内旋させてロック、を稽古しよう。

予期不安や主観に基づく自分の悩みは確かにウ○コなのかもなあと思う(※)。稽古しろ、ただやれというのは悩みを紛らすためというより、武術を身につけることが悩みを悩まなくする実際の手だてになるからだろう。師の技と技に対する考え方は、それくらいオールマイティに運用できるものだと私は思っている。Sさんは技術を拡大解釈しすぎだ、とも今日言われたけど・・・。

※実際には、私の苦悩は「例えたらウ○コに失礼だ」と言われるほどの「取るに足りなさ」らしいです

自分が自分が、ではなくて、Sさんと稽古(組手)するとうまくなる、Sさんと稽古したい、と人に思われるようになりたい。そういう作法も今日教わった。

師がお友達に私を弟子だと紹介してくださってとても誇らしかったり、いい一日だった。