弟子のSです

武術の稽古日誌

対象は意味づけされる

誤読されるのを恐れて書かないのが保身、書きながら誤読を最小限にしようとするのが護身、誤読が恐くて文章が書けるか、とお構いなしなのが向こう見ず・・。自分はどれだろうか。書くことに少し臆病になっています。

先週と今週で、続けて同じ監督の映画を観た。『ホーリーマウンテン』『エル・トポ』。一筋縄ではいかない作品で観るのにエネルギーが要るが、人も本も映画も、求めている時に求めている作品と出会うものだとつくづく感じる。

観終わった時に口角が上がっているのが好きな映画、という基準にてらすと、自分の中の格付は『ホーリーマウンテン』の方が上だけれども、どちらの作品からも大きな示唆を得た。冒頭のような理由で書くのに挫折したので経緯は飛ばしますが、それは「対象というものは何であれ、それ自体は意味を持たない」ということです。

カルト映画と呼ばれるこれらの作品にしても、カルトをカルトにするのは観る側で、映画はただ作品としてそこにあるだけなのだと思った。

この監督の最新作が『リアリティのダンス』というのである。次はこれを観る予定。口角が上がるものであってほしい。口角が上がるというのはハッピーエンドとは少し違う。世界の枠組みを希望的に再解釈させてくれるといいますか。

映画を観て、マークシティでパンを買い、井の頭線で文庫本を読みながら帰る・・という至福のパターンができつつあるのはいいが、渋谷ではパン4個と映画1本が同じ値段であることよ。