弟子のSです

武術の稽古日誌

今日のお稽古

護身術+太極拳+幼児空手+子供空手。

護身術では合気上げ・合気下げの要領。応用で打撃、座取り、立位。

太極拳では講座1クールのまとめとして全体のおさらい。単推手。

空手では両手での払い(風車)とその応用など。

空手教室で見ていて興味深いのは、スジのいい子は技を教わるとそれを即トレースしようとし、それができてしまうこと。外国語でも大人より子供の方が身につきやすいのと同じ道理だろうが、ビジュアルや音声などを、頭を介さずにコピー・再生する能力にすぐれている。インプットとアウトプットの間にややこしい紆余曲折がない。脳を含めた身体の柔軟性とか、屈託がないとかの要素に関連しているようだ。痛ければ泣くけど、それはそれとして稽古は続く、みたいな。

Sさんは何かを教わる時にまず「拒絶」「疑い」から入る、と師に言われた。「たとえばAという技を私(師)が教えようとかける時、まずかからないようにしようとするでしょう。教えようとする技Aがかからないと、教える側としてはAに耐えられた時にかける技、つまりA'をかけざるを得なくなる。結果、SさんはいつまでたってもAを身につけることができない。私はいつもあなたに「試されている、疑われている」と感じる。Aを教わっている時はただAを覚えなさい」。

その説明に心から納得したので、私は今日「拒まない、試さない、疑わない」を超心がけて稽古した。私の課題を理解してくれている瀬尾さんの助力もあり、それは多分うまくいった。道場での稽古中は。稽古後まで続かなくて泣きを見た。

それはこういうことだ。あれこれとダメ出しされ、Sさんみたいなことをやってたらいつか死にますよという指摘を、人間失格の烙印を押されたように感じ「そんなことないもん!!」とやってしまった。友達にも親戚にも、そんなこと言われたことない・・・。でもそれは、友達や親戚が、私の武術の師ではないからだ。そう気づいたのは後から。

師は師として、そうすることはあなたを命の危険に曝す可能性がある、という教えAを私に与える。Aを教わっている時はただAを覚えなさい。拒まない、試さない、疑わない。心がけを実践しきれなかった。私の態度は良くなかった。でも・・・なんて自尊心が痛いんだろう。

以前、師に「いろいろ気にして大変ですねえ」と皮肉まじりに言われたことがある。おそらく私はとんちんかんに「気にしい」で、武術的にエッセンシャルな部分でものすごく鈍感なのだと思う。

師にこの記事を読むように言われた。

http://doranekodoradora.blog123.fc2.com/blog-entry-204.html

本当にいやになる。でも、私は私というカードでやっていかなければならない。