弟子のSです

武術の稽古日誌

さらに単推手について

目下の疑問はつまり何かというと

・進歩搬攔捶が拗歩で突くのはなぜか。

・単推手では拗歩でなく順歩で突くのはなぜか。

・単推手では弧を描いて向かってくる(はずの)相手の力の方向にわざわざ体を開いて立つのはなぜか。

そもそも問いの立て方が間違っている問題は答えの出しようがない、という師から(無理矢理)伺ったところを整理しますと

・進歩搬攔捶は拗歩で「突く」というよりも、仮想敵の動きをその足で封じた姿勢が拗歩なのである。太極拳の動きの合理性は威力や速さを増す目的でなく、相手との関係から、つまり用法から考えなければわからない。

・単推手の右手の動作は、突きでもありうるが必ずしも突きではない。その上で、突きについていえば順歩で突くのがあきらかに合理的である。

・単推手で相手から加わる力の方向が一定であるはずがないが、順歩で構えるのは相手から退がらずに受け流すためである。

単推手とは円を描こうとしてするものではなく、理にかなった動き方をした結果、描かれた軌道が円になるのであって、あなたが円の軌道に戻すのではなく、相手が「そうしないとやられてしまうので」円に「戻さざるを得ない」ものだ。

誰かと推手をすれば勝ち負けという結果が出るが、結果は常に相対的な評価でしかない。だから勝ちたいとかうまくなりたいとか強くなりたいとかよりも、身につけるべきある動作について、なぜそれが最も合理的なのか、その理由を考え続けることだ。

また、こうも繰り返された。

武術のレベルの差は、認識している領域の広さに比例します。

「何でもあり何でもない」「わかるまでやればわかる」としか言いようのないもの。武術。太極拳套路。推手。どれをとっても、私は見えている範囲が狭いから、導かれる答えにも限界がある。

見る目を養うこと。そのために執拗に見ること。今の時点で認識していることを整理し、認識されていないことは何なのか考える(!)習慣をつける。

師の認識する推手と、自分の認識する推手をイコールにしたい。