弟子のSです

武術の稽古日誌

今日のお稽古

護身術+太極拳

流れにまかせる、という稽古で、手首を取られてかける返し技と、自分から手を取ってかける技。

手首を取られてかける返し技は、取られる力の方向にあらかじめ踏み出すことから始まる。踏み出して、四方投げ(前後・左・下)、雲手を使った投げなど。

自分から相手の手を取る技は、手を内旋させてロックしてからかける技のいろいろや、手の甲を取って極める技など。

師に習う四方投げ合気道四方投げが自分の中でずっと一致しなかったのが、今日師に質問して、相手に向かって右方向に引かれた際の返し技だということを知り、頭に一陣の爽快な風が吹いた。同時に、本当はこういう疑問は自力で答えに辿り着くものなのだとも。しかし・・・ある程度の超法規的手段をとらないと、私には時間がないんだという焦りもある。

合気道の三教と四教がわかっていなくて不便。だけでなく、一教〜四教それぞれの、手首とひじと肩関節の関係とか、どこが極まるから痛いのかという理解がまだ。おそらく四方投げのように、プリミティブな形のものを師から既に習っているには違いないのだけれど、ネットの合気道の動画で見てもわからない。

幼児空手と子供空手の教室に参加しなかったらば、いつも私にセクハラ発言をする子が私を見つけて「来週は来る?」とわざわざ訊きにきた。んもー、かわいいんだから。

家で。

師がひんぱんに仰る「自分は技でなく、技に対する考え方(イズム)を教えている」について、師の記事「守・破・離という罠 」を参考に考える。

技を教わる、というのは、「この技に必要な要件、あなたに足りないものはなんですか?」という問題を出されるようなものです。

師に技を教わる時、私はその技をそのまま使える要件を満たしていない。師と私とは違う人間だからだ。それを自分用に、私がそのイズムを体現できるように工夫するのが教わる側の役目。

その、どの条件が揃っていないのかを検証する作業が守。

その条件を揃えるか、その条件の代用になるものを捻り出すのが破。

結果として、その技の創案者と同様か、それに近い理を宿した身体を獲得した状態が離。

なので、技は教わったその瞬間から、破に向かっていかなければ無意味です。

これから20年かけて守→破→離と段階的に進むのではなく、そのつどイズムを抽出する。「この技」とは何か。それは私には大変というか、ほぼ無茶のように思える作業だが、やらなきゃ間に合わない。うかうかしてたら後期高齢者になっちゃうんだよ。