弟子のSです

武術の稽古日誌

如是我聞<自転車で行こう>

山のあなたの空遠く、幸い棲むと人の言う。

遠くに行きたいと望む人が、自転車という便利な道具があると知る。しかし練習しても乗りこなせず、自転車は不便だ、こんなことなら歩いた方がよっぽどましだと思う。

ここで「遠くに行きたい」は自由への意志、「自転車」はそのためのツール、「自転車は不便」は拒絶反応。乗れない状態において自由と自転車とは反発し拒絶反応を起こすが、乗りこなして自転車本来のパフォーマンスを発揮すれば、自由と自転車とは最終的に齟齬がなくなる。

いうまでもなく自転車は武術の隠喩である。「刀」「禁煙」「自立」等でもいい。自由へのツール。それらが本来あるべき姿を現したとき、それは使い手の思いと一致する。修行が出家がつらいと言ってるあなた(私です)、武術は本来、運用にあたって拒絶反応の起きないものだ。それはあなたの望むものに合致しているのだから。

そのように師は言われた。

山のあなたになお遠く、幸い棲むと人の言う。

いくら荷台を支えてもらっても転んでばかりで生傷が絶えなく、乗れたら乗れたで寂しいんじゃないかとも思うが、今はよくわからない。乗れてみないと見えない風景があるにちがいない。

※師の意図と若干ニュアンスが異なるという指摘がありましたので、コメント欄も併せてお読みください。