弟子のSです

武術の稽古日誌

武術ってモビルスーツなんですか

武術家とは、剥いても剥いても武術家が出てくる人のことではなく、武術を身につけた人、黒子のことであるようだ。一体化しているが一体ではない。でもって私が身につけるべき武術は師の中にあるのでなく、私の中に既にあるという。なので師が再三言われるように、武術そのものでなく、武術に対する考え方を学ぶために私は師事しているわけだけど、師の考え方を学ぼうという人なら私以外にも大勢いるはずで、生徒でなく弟子であるとはどういうことなのか。弟子だから得られること、弟子だから許されないこと、弟子だからできること、弟子だから求められること。

「師のようになりたい」でなく「師になりたい」と私が言ったから弟子にしたと師は仰るが、それが意味することを私は本当にはわかっていなくて、今も自信はないけれども、たとえば師が太陽なら、それを愛でる人でなく、それと同じ存在に、たとえば月になろうとすることだろうと、今朝がた、考えた。修道士の太陽、修道女の月。月は太陽のどこを見て、何から学べばいいんだろう。

仕事運に見離された2014年と思っていたが、ここにきて急に忙しくなった。絵の仕事は最優先。実入りもいいし、私にと依頼してくれる人の気持ちがありがたい。その人たちに満足してもらいたい。