弟子のSです

武術の稽古日誌

シェアについて考える

師はもとより、瀬尾さんもご一緒すると自分の知識を億劫がらずマメに教えてくれるが、ものを教えるという行為はシェアすることそのものだ。私の、とっても苦手なこと。

師によく言われるのは「与えれば与えるほど豊かになる」。ここでだいじなのは、闇雲に与えるのでなく、他者が欲しがるものを、ということだと思う。与えることが自己満足にも自己犠牲にも陥らないためには、うーん、やはり師の仰るように、自分を主語にしないで世界を認識すること・・・。

そして逆説的だが、与えられるしっかりした母体としての自分を持つことなのではないか。ボランティア活動なども、続けるための絶対条件はまず自分の身柄を守ることだと言うし。自分を主語にしないんだけど、まず自分。これが例の、自我を確立し我執を離れるという、あれなのかも。

仕事でビジネス書に携わっていて思うのは「自分を主語にしない世界認識」をビジネスにあてはめたのが、マーケティングというものではないかと。武術というコンテンツを世界にシェアするにあたり、市場動向・ニーズはどうなっているのか!みたいな。教え下手な自分がそこに参入できるとしたら・・・

というか、私の場合、シェアもなにも、コンテンツ(私の武術)がまだ存在しないのだ。私の武術とは何かというと、私に取り込まれて、私のものになった師の武術のことです。