弟子のSです

武術の稽古日誌

今日のお稽古

武術90分。新宿は戸山公園にて。

太極拳、双推手、中段右裏拳ー中段左カギ突きー上段右裏拳の三連打。プラスひざ裏蹴りー回し蹴りの3・2のリズム。対向して接近しながら有利な間合いの取り合い。背後から廻された腕を縄抜けのように、左右前後にうねって抜ける。それから剣術。打たせて、切っ先でかわし、小手を打つ。ほか。

今日は、テーマを掴むことができなかった。

稽古後、暗くなるまで師と話す。何千時間、何万時間、何万語費やしてもらっても、私には師の仰ることがわからない。何ひとつ受け取れてないから、これでは座学とも呼べない。師の説明せんとするところは「なぜ毎度毎度同じパターンでやられてもノーガードで泣きながら打たれ続けているだけなの? バカなの?」

痛みやつらさはそのやり方が間違っているというサイン、間違ったことを繰り返さないために自然が用意したペナルティです。そこから学ぶべきはそうならないことであって、ペナルティの逃れ方ではありません。(心の修羅は)誰でも抱えてるし、あなたに免疫がないだけで大した話じゃない。おれは、やろうとしか言っておらん。あなたがやるかやらないかだけなんだ。

人は変われるか。変わらないのか。変わらなければ環境に適応できず死ぬという、この時に。

「全身全霊で変わろうと思っている人だけが変われる。根本治療をする気がなく、モルヒネ的なその場逃れを欲するなら、私はあなたに関わるのは無駄だと判断します」。

私「よく今まで生きてこられたと思う」師「ほんとだよ」

守っていた家族に、実は私が守られていたのだ。