昨日一日を通してうっすら思っていたのが、帰りがけには確信に変わったのは、武術は礼儀作法である、ということ。
別の飼い主に育てられた二匹の対照的な犬を知っている。
よくしつけられ、お行儀よく、落ち着いて、のびのびと幸せそうな犬A。びくびくして盛んに吠え、どうしたらいいかわからないといった態で見るからにストレスフルな犬B。
飼い主はどちらも自分ちの犬への愛にあふれている。が、小さい頃のしつけや接し方がちがう。Aの主人はわがままは毅然と矯正するという態度で子犬に接してき、片やBの主人はわがままも弱さもまるごと受け入れ許すという慈母観音みたいなタイプだ。
犬種や血統による違いもあるだろうから一概には言えないけれど、対照的な二匹をみて、ある時期に原理原則を徹底して叩き込まれるというのは本人にとって幸運なことだと思わずにはいられない。すくなくとも、何が何だかわからなく育ってしまったあとで状況別の個別のルールを一個一個覚えさせられるよりは、ずっと負担が軽くてすむ。
無作法でいることはストレスの種の中に無防備で曝されるのと同じことだし、人と幸せな関係が結べない(Bは怯えるのに忙しくてちっとも遊べないのだ)。私は犬でも幼くもないぶん、叩き込まれるには困難や苦労が伴うと思うけど、武術が礼儀作法だとわかったのは、昨日の大収穫だ。
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