弟子のSです

武術の稽古日誌

降りていく

3日付のコメントの返信に全力投球して頭が燃えかすになっているところへさらなるコメント。師ってすごい・・・。しかし書けるだけのことを書いた。

師に対する私の横柄な物言いと、恥ずかしいその理由について。(ああどうしてこんなことをわざわざ箇条書きにしてるんだろう・・子供だって読んでんのに・・)と思いながら書く。読んだ人はあまさず私をかまってちゃんだと知るであろう。

みっともないけど、お正月の時間をかけてコメントをくれる師に本気の返信をしたからこれでいいのだ。以前に建前らしい薄っぺらい応じ方をして「なめんな」と師をひどく怒らせたことがあるので、それは礼を失することだと学習した。

それから先日教わったのは、ある事象を因果の果として、因を探ってどんどん自分の中へ降りていくこと。なぜか。なぜか。なぜか。コメントと格闘しながらそれをやる。

すると圧倒的な無価値感と、それに対するカウンターの感情の二つが自分にあるのが見えてきました。後者は、自分に価値があると思いたい「あたしだって」という気持ち。単推手や組手を失敗に導く、あれ。

価値のあるなしに拘泥すること、価値という概念そのものが自分を縛っているのだと思った。

自分には価値がないという圧倒的な思い。

なぜ、価値がありたい、なくてはならないと思うのか?

生きているだけではなぜ満足できないのか?

空がきれいでご飯がおいしく、ぐーすか眠れるだけではなぜ足りないのか??