弟子のSです

武術の稽古日誌

懸崖撒手

前回の記事に師からいただいたコメントにある「懸崖に手を放す」は禅の言葉で、文字どおり指一本でぶら下がっている崖っぷちの、その手を放すことですが、私の解釈では「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」の後ろ半分がないものです。身を捨てる、それだけ。しかもそれを師によれば、決死の覚悟でやるのでなく、鼻歌混じりでやる。

これは勇気がどうこうという話ではなく、師の受け売りなんですが、「手を放すことは絶対にできない」から「なぁんだ放しちゃえばいいんだ、放せるものなんだ」と思った瞬間に視点が変わる。恐怖心や自分を縛っていたものから解放されるという、自由についての話だと思います。

それでオマケ的に「浮かぶ瀬」という利得がついてくるかもしれないし、ついてこないかもしれないが、それはまったく関心の外、というところがこの言葉の真骨頂だと思う。