弟子のSです

武術の稽古日誌

シーナの死を悼む

最近、手の小指の第一関節が曲がってきた。加齢にともなう身体の変化は草木の一生を見るようだ。ひょっとして10年後にはこの世にいないかもしれないし、30年後も生きてるかもしれないと思う。明日死ぬつもりで生きろ、永遠に生きるつもりで学べ。

修行する私は武術的な世界認識というものを学んでいるわけだが、それは感情の介入しないハードボイルドな理の世界。「武術家になっても感情がなくなるわけではないが、武術に感情は関係がない」と師の仰るところのもの。認識の至らない私はしょっちゅう叱られる。それもとても辛辣な言葉で。

「Sさんは師弟愛とか言うけれども私はちっとも愛されていない。あなたは自分しか愛していない」

「感情や価値判断など私情に拘泥するあなたは、精神的なもの、より高次で深いつながりを求める女に肉のつながりだけを求め、拒否されれば俺を愛してないのかと切れる自己中な男と同じだ」

うう・・そんな男いやだよ・・・!

敵は自分の中の「かたくなさ」。言われて、相手の視点に自分を置く努力ができるかどうかだ。言っていることがその時はさっぱりわからなくても。