弟子のSです

武術の稽古日誌

今日のお稽古

護身術+太極拳+幼児空手+子供空手。

立ち方・歩き方に重点をおくのが中国武術だとすると、日本武術では「居方」を重要視する。

日本の武術は背負い投げや捨身投げなどのように、立っている、座っている、寝ているという状態が瞬間的に切り替わります。これは切り替わるというより体感ではもう、すでに立っていながらにして、座ってもいるし寝てもいるというような、レイヤーが重なった状態です。

居合が抜く前からすでに抜き終わっている状態を体内で作っているのも、そうした多重存在の一例だと以前書きました

一つのありようの裡(うち)に、他のありようが可能性として幾重にも含まれていること。

時代劇などで、就寝中の武士が夜討ちの気配にハタと目を開け「何奴!」と速攻で戦闘態勢になるのを「お侍さんて寝ないのかな」と思って見ていましたが、あれは寝ていないのではなく、寝ながらにして起きている、起きて刀を抜いているのですね。

というわけで、立位・座位・仰臥位を瞬間的に切り替える稽古。座っている→寝る、立っている→座る、立っている→寝る、座っている→立つ、寝ている→立つ。

立っている状態から座位・仰臥位に移るには重力を使ってストンと落ちるようにする。逆に、座位・仰臥位から立ち上がるにはなるべく重力に逆らわないようにする。その方が楽に速く動け、予備動作がないため相手も反応や追尾をしにくい。(とは言え一夜明けた今の太モモはバリバリに筋肉痛で、行く道の遠さが思われる。)

また居方に関連して、世にあるものは三種に分けられるというお話。

1. 単体で完結しているもの(自分)

2. 衝突・比較・相対性のうちにあるもの(自分と他者)

3. 2で、自分と他者との間に生成されるもの(関係性)

商取引や外交や恋愛といったインタラクティブ(対話的・相互作用的)なもの全てが3である。また中には略奪や搾取といったように、必ずしも平等でない関係性も含まれる。

武術になぞらえて言えば、1は構え、2は力比べ、3が読み合う・感知し合うやりとりとしての推手や組手といったもの。稽古で1〜3を実際にやってみた。武術の本態は3を制することだ。

そして・・・。

つづく幼児空手・子供空手なのだが、指導者側でも、むろん幼児子供の側でもないという立ち位置の曖昧さにより自分の肩身が狭いことから参加を躊躇する。師にもじもじうじうじと胸のうちを訴えると、案の定「好きにすれば」という答えが返ってきた。指導者として無力ならまだしも、得体の知れない人物として居ることのマイナスの方が大きいのではという思いを拭えぬまま、もじもじうじうじと道着に着替えて参加する。

昨日学んだことからすれば私も一個の「これ」なんだし、じっさい子供は「これ(=メガネのおばさん)」として私を見ており、よくも悪くもそれだけで、たぶん嫌がられてはいない。価値判断という誤った操作によって敵をわざわざ創り出しているのは、他ならぬ私自身だ。こういうことだから瀬尾さんに「Sさんはぶれまくり」と言われるのだ。

覚え書きいくつか。

小手返しで投げ、そのまま相手を痛くないようにコントロールして立ち上げる。

・対向した相手の手をストレートで掴み、足の間にもう片手を入れて担ぎ上げる。

・おなかの弾力でもって打たれたり踏まれたりを凌ぐ。

・座っている状態で押されるのに、接触する瞬間に力を入れて耐える。

どの内容も確かに護身術の3に関連している・・・。