弟子のSです

武術の稽古日誌

今日のお稽古

動画に写ったおのれの姿に脂汗を流した私だが、その脳裏に次のような考えがひらめいた。見た目はへなちょこでも、いざとなれば相手に致命傷を与えられる、いわゆる必殺技を一つ持つことを目指せばいいのではなかろうか。首だけになっても敵に喰らいつく山犬のように。そういう、一念で岩をも通す系は得意かも。その場合、どの部位を狙うのが最も「必殺的」なのであろうか?

武術90分。スポセン。

今日は組手を重点的にやりますと師が仰った。上記のような問題意識を持って稽古に臨んだ私は「望むところだ」と内心喜んだが、師のさせたことは次のようなことだった。

まず二人で向かい合って座り、両手を上下に合わせる。片方が上、片方が下。どちらがどちらを支えるということもなく、手で連結した一つの構造体のように、お互いが力まずにつながる、その感触を確かめる。片方の揺らぎが片方に伝わり、伝わった揺らぎがまた片方に伝わる。

相手の動きや流れを感じる・受けとる。そのあと組手や寝技をして、熱くなると再び相手と静かに手を合わせ、受けとる感触に立ち返った。

師ー瀬尾さん、瀬尾さんー私、師ー私の組み合わせで交互に組手や寝技をやった。師ー瀬尾さんの攻防をよく見ているように言われる。

組手の際、初めてフェイスガード(というのか?)を装着する。ガードを付けるということはそれなりの激しい当たりが頭部にくるということ。師にいきなりやられて下唇を切る。蹴られたのか拳を受けたのかわからないが、気がつくと壁に頭をぶつけて倒れていて、口の中に血の匂いがする。なんだか恐ろしいことが始まったと思った。

師と瀬尾さんの番だ。フェイスガードを付けていると外界と隔たったような感覚になり、やりにくい。瀬尾さんは途中でガードを外して放り投げ、師との攻防はとんでもない激しいものになった。蹴りを受けるうちに瀬尾さんの形相が変わり、集中が高まるのが見てとれた。道場にいた他団体の人も興味深そうに見入っている。あとで瀬尾さんに聞くと、そのあたりから稽古冒頭の「相手の動きを感じる」がどういうことかわかったという。徐々に打撃の応酬が減り、蹴り合いのフェーズから、一見すると膠着したような状態になった。そして終わった。

瀬尾さんは腕が内出血してたけど掴みを得てひまわりの如き笑顔を見せていた。私は鬼気迫る組手に怖気づき、あとの稽古がガタガタになった。

注意を受けたのは、攻防において倒れるのは形勢が不利になること。なので嫌倒れしない。私の嫌倒れは、嫌立ちをしてひざを痛めた反動でついた癖だと思う。

寝技ではアームロックをできるまでつきあっていただいた。

思えば今まで組手をしていて、頭を蹴られる危機感をリアルに感じたことがなかった。自分は手加減という施しをうけ、その上でものを考えている。わかったのは、冒頭の「首だけになっても戦える」は、執念でどうするといった話ではないこと。単に戦闘能力のことである。私は危機感にも戦闘能力にも欠けている。それを得るための正しい手順にも態度にも欠けている。

技というのは二の次なんだと師は仰った。なら、一番大事なものは何なんだろう?

下手の考え休むに似たり。今日の私は直でなかった。情に完全にやられていた。