弟子のSです

武術の稽古日誌

今日のお稽古

武術2時間弱、スポセン。今日は剣術。

青眼の構え・八双の構え/八双→青眼に構えを入れ替えることで接近する相手を止める。接近する刀を見ない。ひたすら相手との間合いを見る。/上段の構え。まっすぐ振り下ろす、または下から戻すことで攻撃を止める。横移動する相手に対応する/刀の重みを感じにくい持ち方の工夫。二刀を肩の位置に掲げて水平移動、重い木剣で素振り/「後の先」。青眼で構え、打ってくるのを切っ先を回してかわして小手を打つ。上段で構え、打ってくるのを正中線を譲らずに先に面を打つ(←謎)。刀よりも相手の全体像を見、間合いを意識する/刀越しに肩口から相手を下方に崩す。手刀の刀バージョン/つばぜり合いと、そこからの発展/刀vs無刀。相手の動作の起こりを止める。突きをかわして懐に入って倒す。相手の動作とシンクロして刀を奪う。

師のブログの記事「実戦考」によれば、各人によって異なる世界と世界との衝突、それが実戦であるが、そこでの最適行動を考える時、自分一人の世界の枠内で考えず、全体の仕組みや因果関係として捉えることが大事だという。

剣術でも、衝突の具体的な場である刀だけ見ていてはうまくいかない。間合い(=関係性)に意識を集中することが大事だとわかったが、それと同時に、刀を持つ自分がまず(刀の重量を意識しないほどに)単体で安定していることだと思った。

扱い慣れれば腕の延長・身体の一部のようになるはずの刀だが、私にとってはまだまだ異物であるせいか、あるいは道場が普段の畳敷きでなく板張りで受身をとるのに緊張したせいか、終わってみると普段の稽古よりも疲れている。しかし「疲れた」など、弟子が師の前で口にする言葉ではなかった。反省した。

稽古後は「やきとん」のお店で休憩。ねぎ塩味のたこ焼きがおいしい。

瀬尾さんによると、おいしいものを食べて「おいしいなあ」と思う時、それを傍から「そうか、おいしいか」と目を細めて眺めているもう一人の自分がいるという。またその二人を傍からまたもう一人の自分が、さらに別のもう一人が見ていることもあるそうだ。師も同意していた。ええー、そんな複雑なことって・・。瀬尾「何かをしようという時はみんなで合議です(←実際はもっとずっと愉快な瀬尾節。彼は喋りのプロなので)」。私「私には私一人しかいません」。師「だからSさんはダメなんだよ」。