弟子のSです

武術の稽古日誌

今日のお稽古

高田馬場にて座学と実技と座学。 「自分の体をおもちゃにして遊ぶ」について。やろうとしていることは、自身を観察し客体化することで体が勝手に動く仕組みを発見・開発すること。師のツイッターから引くならば 恐怖を克服することは難しいが恐怖していても動く身体のメカニズムは開発できる。武術的には、人間は自分自身に対してもアウトサイダーであることが必要だと思う。 今日は前回の続きで、手の動きを操ることから自重を推進力として動く稽古を「あたかも遊んでいるように」やった。 八卦掌酔拳八極拳の頂肘、忍者走り、噂のコンタクト・インプロビゼーション。最後にゆっくりとした組手。柔らかくやれた。順を追ってやれば柔らかく動けるのだ・・・ 前回の記事に「自分は武術家にはなれないので武術家という生き方を知る人間としてやっていきます」みたいなこと書いたけど、驚くことに師は私が武術家になることを諦めていないのだった。それはもはや私の考えの及ぶところでないので特に意識しないようにする。私は、師の前に正しく弟子でいることだけ心がけようと思う。 弟子でいるとは、嫌いなピーマンを食べろと師に言われたら食べること。食べられないにしても、食べる工夫をしてみること。言われたことをできるかどうかは問わない、できないことについて無策でいるなと言われた。自分がピーマンが苦手なことも、一つの観察対象なのだからと。 私たちは進歩を望み、目的に到達することを願うあまり、学び、観察している時間も余裕もないのです。(クリシュナムルティ