弟子のSです

武術の稽古日誌

今日のお稽古

護身術+太極拳+幼児空手と子供空手の見学。

腕を外旋し手を内旋させるように張る、またはその反対に張る。さらに手指も張ることで折れにくい腕の構造を作る。角のないアーチ状。腕が丈夫だと前回り受身もとりやすくなる。

また、仰臥してひじから先を立てる、ひざを立てる。筋力でなく自然と鉛直になる位置を探す。それができたら腕を立て、足を立てる。関節が間に入るので難しくなるが、これも筋力でなく骨組みで支える位置を模索する。人に上に乗ってもらって強度を確認。

何をしているかというと、身体をシステム化すること。誰がどんな心構えでやろうとも折れない腕、重いものを支えられる仕組み、戦える自分を作る。

また、人の重さを自分の体で支えるには、つっかい棒になるよりも相手と相似形になると力が要らない。というか力でなく釣り合う時は自然と相似形になっている。向かい合って点で支えたり、面と面を押し付けあったり、おんぶみたいに同方向を向いたり。

システム化とは姿勢だけでなく動きも同様で、例えば、めざす方向に肩を突き出す形をつくることで人は否応なしに前進してしまう。これが忍者走りだ。

それから左右の腕のつながりを利用した突き、手と足のつながりを利用した回し蹴りなど。

最後に酔拳をやって終わった。親指と人差し指を環にし、左右のそれを不規則に前後に動かすことで酔っぱらい独特の動きが生まれる。

太極拳の時間にやったこと。

・攬雀尾のジーから按への移行部分。両腕を外旋させてひじを胴に当て、引き絞るような格好で相手が押してくるのを受ける。胴に当てておくことで構造が強化される。また逆に、相手にその姿勢をとらせてひじで自分を突くような応用もできる。

・左掤や単鞭下勢を通して、差し出した手の方向に手自体の重みによる方向性が生まれることを確かめる。これを師は「酔っぱらいは手に下げた折詰めの方向に進む」と説明しておられた。

・玉女穿梭の用法。

・推手。胸元を突かれた際の受け方と流し方。

いろいろあったが、どれも初めの頃から言われている「体の使い方のコツを知る」に尽きる。シンプルだがこの一言の中に深〜い含蓄がある。体を知ること、体を「使う」ものとみなす(対象化する)こと、使い方の理を知り自分用にカスタマイズすること、「コツ」というからには要諦はフィジカルの強化とは別のところにあること。

続く空手教室は見学者として参加し全体を見渡す。体育の授業で級友が泳ぐのをプールサイドで眺める生理中の女子中学生みたいな気分である。ひたすら観察、ときどき呼ばれてお手伝い。

忍者走りを子供たちも稽古していたが、私がそうであるように、体を走る装置にして走るものだから制動がきかず、軒並み壁に激突していておもしろかった。システム化するとはこういうことなのだ。誰がやっても一律に同じことが起きる。ただし自分の中に理の発現を阻む要素がなければの話。その点、子供の柔軟さはアドバンテージだな。

私はわかった。私は観念的なことをああだこうだ考えるのが好きでそれに救われもするけど、それはあくまで趣味。本分とは区別しないといけない。私の本分は実技だ。

というわけで帰宅後、久しぶりに実家でくつろぐ次女に母の実技を見せる。酔拳である。私「どう?」次女「なんか不安になってきた」。