弟子のSです

武術の稽古日誌

椅子に身を委ねる

昨日、最奥歯の根っこの治療で顎の蝶番のギリギリまで開口すること40分、頑張りが限界に達した時、ふと、自分が横になっている椅子が体の背面全体に妙にフィットしていることに気づき、全身の重みを椅子に委ねて脱力してみた。するとどうでしょう、緊張がほぐれて少し楽になったではありませんか。ヒマなのでその後ずっと椅子とコンタクト・インプロビゼーションごっこする。 さて、師の次なるツイートが今はさっぱりわからないので、わかる日のために控えておこう。「つづき」とはこちらの記事のつづきと思われる。
柔術の原型が剣術に対して「刀を抜かせる前に倒す技術」だった可能性についての考察・つづき。 そうした技術があるとしたら片手取りから始まる可能性が高いと書いたが、それ以外にもありそうだ。たとえば朽木倒し、諸手刈の類、タックルである。 ・脇の下や腰に手を回され抱きつかれた場合、刀を抜くことは難しい。これも剣にたいしては有効だったはずだ。しかし居合いの発明は座った状態で一瞬で剣を抜きつけれる、という、完全なタックル封じにもなっている。これでこの系統の技術はほとんど研究されなくなったのだろう。 ・しかし今、国際柔道や総合格闘技などでのタックルの重要性は周知の通りで、国際柔道にいたっては、試合後いきなり足に抱きつきに行くのは禁止というルールになった。これは、現代柔道には対抗策が無いと言っているのに等しい。 ・柔道が切り捨ててきたもの、立ち技と寝技の中間である座り技が生きていたなら、タックルはそこまで脅威ではない。アマレスなどでは膝をついて潰し、まさしく座り技のような展開から対応している。 ・このように過去に切り捨てられた技術が、現代的なシチュエーションによって役に立つ局面は出てくる。「剣を抜かせずに抑える技術」も、居合の発明で不要になったように見えたが「サイドキックやジャブでアウトファイトをしてくる相手に一瞬でクリンチできる技術」として復活する可能性がある。 ・また、術として成立させるなら、こうしたタックル系の技術も、素早く動くという運足に頼ったものではなく、ゆっくり抱きつきにいっているのに何故か打てないし、かわせない、という心法に寄った発展を考えた方が良いだろう。
代表作いっこも読んでないけど『荒木飛呂彦の漫画術』を読む。